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鹿鹿元F3ドライバー、 車いす利用者向け衣料ブランド「ピロレーシング」代表 長屋 宏和さん 退巻頭 インタビュー 夢があるから あきらめない 1979年12月 東京生まれ 14歳からレースをはじめ、1999年フランスレーシ ングスクール「ラ・フィリエール」に入校。 2000年、2001年 フォーミュラドリームに参戦。 シリーズ3位を獲得。 2002年 全日本F3選手権に参戦。その年の10月、 F1日本グランプリの前座レースでクラッシュ。頚 椎損傷・四肢麻痺の重傷を負いチェアウォーカーの 生活となる。その後必死のリハビリを経て、2004 年にはハンドドライブでのレーシングカート走行を 実現した。 2005年 車いす利用者向けのブランド「ピロレーシ ング」を立ち上げ、利用者に優しく、ファッション としてもクオリティの高い製品を開発・販売してい る。 2013年 人間力大賞グランプリ受賞、内閣総理大臣 奨励賞を受賞。取材や講演などの活動も行っている。 2014年 秋の園遊会に参列、天皇皇后両陛下からお 言葉を頂く。 長屋 宏和さんプロフィール 元F3レーサーの長屋宏和さんは、2002年、F1日本グラン プリの前座レースで大事故に遭い、頚椎損傷。必死のリハビリ を行うが四肢麻痺が残り、車いすの生活となりました。 しかしF1レーサーになる夢をあきらめず、2004年には、手 動運動装置「ハンドドライブ」を装着したレーシングカートの レースに復帰。2005年には車いす利用者向け衣料ブランド 「ピロレーシング」を立ち上げました。 事故後、自分の夢や目標を失い、これから何をしていけばよ いのか分からず落ち込む日々の中、家族や友人のおかげで再び 夢に向かって歩みを続ける長屋さんにお話を伺いました。 使調使使株式会社アトリエ ロングハウス内  ピロレーシング事業部 T E L:03-6276-1418  FAX:03-6276-1419 〒151-0073  東京都渋谷区笹塚1-62-7-206 U R L:http://www.piroracing.com/ 営業時間:10時~19時  定 休 日:日曜、月曜、祝日 この冬新開発の ダウンポンチョは、 車いす利用者の着脱の しやすさはもちろん、 一般の方の冬の スポーツ観戦にも 活用できます。

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Page 1: 770924 SAI 2web p02 04 - fukushi-saitama.or.jp 音の実際にF1を見た時に、今までにはな電車や車など乗り物は好きでしたけど、観戦に誘ってくれたのです。もともとットで行われるF1日本グランプリの

―F3レーサーだった長屋さんですが、

レースを始めたきっかけは何だったの

ですか。

 私は、小さい頃から身体を動かすこ

とが大好きな子どもでした。でも、小

学校5年生の頃、多分受験がきっかけ

だったと思うのですが、ひどい喘息に

なってしまい、あまり学校に行けなく

なってしまいました。中学生になった

頃は、友達との関わりが上手くできず、

いじめにも遭うようになり、どんどん

ネガティブな方向に進んでしまいまし

た。

 そんな時に、幼なじみが鈴鹿サーキ

ットで行われるF1日本グランプリの

観戦に誘ってくれたのです。もともと

電車や車など乗り物は好きでしたけど、

実際にF1を見た時に、今までにはな

い自分に響くものを感じました。音の

迫力やスピード感、観客の歓声の全て

に引き込まれて、その日のうちに「自

分もここで走ってみたい」「自分ならや

れる」と強く思うようになったのです。

 F1を見ているよりも、走っている

自分をイメージしやすかったのです。

レースを見た次の日には情報を集める

ために本屋に行って、それから毎日毎

日片っ端から車の雑誌を立ち読みしま

した。その中で「レーシングカートか

らレースの世界に入る」という特集が

あって、すぐにそこに掲載されていた

ショップに手紙を書いて、母親を口説

き落として一緒に会いに行ってもらい

ました。

 カートレースを始めてからも学校で

はいじめはありましたが、週末にカー

トに乗って走ることで耐えることがで

きました。

 それまで学校で生活して誰かに負けた

くないと思ったことはなかったのですが、

レースを始めて、初めて誰かに負けたく

ないと思うようになりましたね。

―その後、レース中に大きな事故に遭

われてしまいましたが、気持ちの上で

大きく変わったことはありますか。

 事故後、ドクターから「レースには

戻れない。現代の医学では一生車いす

の生活になる」と言われた時はショッ

クで、これから何をすればよいのか全

く考えられず、あるのは絶望だけでし

た。でも、初めて鈴鹿サーキットに誘

ってくれた幼なじみに「お前なら大丈

夫」と言ってもらえたその一言に救わ

れました。友人や家族にも励まされま

した。そして、多くの人達の支えを受

けている中で、気づいたことがいろい

ろありました。

 例えばレースをやっていた時は、常

元F3ドライバー、車いす利用者向け衣料ブランド「ピロレーシング」代表 長屋 宏和さん

までの病院の時よりも若い人がたくさ

んいて、車いすもカッコよかった。す

ると自然に、車いすでもオシャレをす

る楽しみがあってもいいのではないの

かなって思うようになったのです。

―車いす利用者の洋服を作ろうと思っ

たきっかけは何だったのですか。

 退院して自宅に戻った時、ジャージ

じゃなくて普通のズボンが履きたくて、

それまで持っていたジーンズを履いて

いたら、ポケットやステッチがお尻に

あたって床ずれになってしまいました。

入院中に床ずれの手術をしていて、二

度と床ずれを作りたくはないと思って

いたので、もう自分の着たい服を着る

ことを諦めなきゃいけないのかなと思

いました。

に自分が一番になる、一番だと思って

いましたが、事故に遭ってからは、自

分を客観的に見ることができるように

なりました。また、今の生活になって

から「できない時はできない」と言わ

なければいけないと思うようになりま

した。それから、人の気持ちを考える

こと、気づくことができるようにもな

りましたね。レースをやっていた時に

人の気持ちに今のように気づくことが

できたら、もっといろいろうまくでき

ていただろうなと思います。

 レースができなくなって、本当にレ

ースが好きだったんだなとあらためて

気づきました。

―今日もとても素敵な服を着ていらっ

しゃいますが、昔からファッションに

興味はあったのですか。

 母親が昔から服飾の仕事をしていた

影響もあって、ファッションは身近な

ものでした。

 でも、事故に遭って入院をしていた

時に着ていた入院着にとても抵抗があ

って、なんで普通のTシャツを着ては

いけないのだろうと思ったのです。

 最初はTシャツを切って被るように

着て満足していたのですが、リハビリ

を始めるために所沢の国立リハビリテ

ーションセンターに転院すると、それ

 元F3レーサーの長屋宏和さんは、2002年、F1日本グランプリの前座レースで大事故に遭い、頚椎損傷。必死のリハビリを行うが四肢麻痺が残り、車いすの生活となりました。 しかしF1レーサーになる夢をあきらめず、2004年には、手動運動装置「ハンドドライブ」を装着したレーシングカートのレースに復帰。2005年には車いす利用者向け衣料ブランド「ピロレーシング」を立ち上げました。 事故後、自分の夢や目標を失い、これから何をしていけばよいのか分からず落ち込む日々の中、家族や友人のおかげで再び夢に向かって歩みを続ける長屋さんにお話を伺いました。

 その後、レーサー時代にお世話にな

った会社にあいさつに行く時、普通は

スーツで行くのが当たり前なのに、そ

れまで持っていた服に手を通すことも

できなくて、結局ジャージで行くこと

になったのです。それで、やっぱり車

いすの生活でも普通の服を着たいと思

ったのがきっかけですね。最初は、母

親の技術を借りて自分の着たい服を作

り上げることが課題でした。

 その時に、このような服が必要なの

は自分だけではないことに気づいたの

です。洋服を作っていく中で、その仕

組みがどうなっているのかという問題

をどんどん解決して、せっかくだから

多くの人に喜んでもらえるいい製品を

作りたいと思うようになりました。

巻頭

インタビュー

夢があるから あきらめない夢があるから あきらめない

1979年12月 東京生まれ 14歳からレースをはじめ、1999年フランスレーシングスクール「ラ・フィリエール」に入校。2000年、2001年 フォーミュラドリームに参戦。シリーズ3位を獲得。2002年 全日本F3選手権に参戦。その年の10月、F1日本グランプリの前座レースでクラッシュ。頚椎損傷・四肢麻痺の重傷を負いチェアウォーカーの生活となる。その後必死のリハビリを経て、2004年にはハンドドライブでのレーシングカート走行を実現した。2005年 車いす利用者向けのブランド「ピロレーシング」を立ち上げ、利用者に優しく、ファッションとしてもクオリティの高い製品を開発・販売している。2013年 人間力大賞グランプリ受賞、内閣総理大臣奨励賞を受賞。取材や講演などの活動も行っている。2014年 秋の園遊会に参列、天皇皇后両陛下からお言葉を頂く。

長屋 宏和さんプロフィール

 元F3レーサーの長屋宏和さんは、2002年、F1日本グランプリの前座レースで大事故に遭い、頚椎損傷。必死のリハビリを行うが四肢麻痺が残り、車いすの生活となりました。 しかしF1レーサーになる夢をあきらめず、2004年には、手動運動装置「ハンドドライブ」を装着したレーシングカートのレースに復帰。2005年には車いす利用者向け衣料ブランド「ピロレーシング」を立ち上げました。 事故後、自分の夢や目標を失い、これから何をしていけばよいのか分からず落ち込む日々の中、家族や友人のおかげで再び夢に向かって歩みを続ける長屋さんにお話を伺いました。

―ピロレーシングを立ち上げて9年が

経過されましたが、ジーンズのほかに

どのような製品がありますか。

 この冬からダウンポンチョの発売を

始めました。普通のダウンコートは袖

がありますが、車いすで袖があるもの

は着脱が難しく、誰かの手を借りない

といけません。このポンチョは軽くて

上から被るだけなので脱ぐことも簡単

ですし、タイヤに巻き込まれないよう

にもなっています。構想は結構前から

あったのですが、これを製品化するま

でには時間がかかりました。特殊な形

でもあるし、一般的な製品ではないの

で大量生産することができないためコ

ストもかかる。でも、長く使ってもら

えるいい品を、多くの方に手にとって

もらえるような価格で作りたかったの

で調整に時間が必要でした。でも、私

が履いているこのジーンズも長く履く

ことができますし、このポンチョも使

ってもらえれば喜んでもらえるという

自信もあります。

―今後はどのような事業展開を考えて

いますか。

 2020年の東京オリンピック・パ

ラリンピックに向けて、いろいろな企

業や団体と一緒に、世界中の人に喜ん

でもらえるような街づくりを考えてい

ます。それを成功させることが最近の

目標ですね。

 ピロレーシングとしては、これまで

もパラリンピックの日本選手団のレイ

ンコートを提供することはやってきま

したが、車いす利用者は日本だけでな

く世界中にいますから、多くの製品を

世に出し、みんなに知ってもらいたい

です。

 車いす用の衣料は今まで無かったの

で、無いものを新たに作り出すのは、

結構大変なことです。でも、そのため

にも、多くの方にピロレーシングのこ

とを知ってもらい、手に取ってもらい、

使ってもらった人の声を反映して、よ

り良い製品を作っていきたい。今は僕

の作った服を着てくださった方に喜ん

でいただくこと、お客様の笑顔が生き

がいになっています。

―長屋さんのこれからの夢はどのよう

なものですか。

 今も2〜3カ月に1回程度はサーキ

ットでカートを走らせていますが、

「F1世界チャンピオン」という夢は

きっと死ぬまで変わらないです。その

夢があるから、課題を一つ一つ解決し

よう、一歩一歩近づこう…と思えるので。

 私ひとりでは何もできないです。だ

から、日頃から、助けてくれた方に

「ありがとう」と伝えるようにしてい

ます。何かしてもらった時、つい「す

みません」と言ってしまいがちですが、

「ありがとう」ということで私も笑顔

になれるし、言われた方も笑顔になる。

だから意識して「ありがとう」と言う

ようにしています。そして、感謝の気

持ちを振り返ることができるように、

「今日のありがとう」と題してブログ

に掲載しています。周りに支えてくれ

ている方がいるので、頑張ることがで

きると思っています。

 でも、母親に「ありがとう」と言う

のは、恥ずかしくてなかなか言えない

ですけどね。

株式会社アトリエ ロングハウス内 

ピロレーシング事業部TEL:03-6276-1418 FAX:03-6276-1419〒151-0073 東京都渋谷区笹塚1-62-7-206U R L:http://www.piroracing.com/営業時間:10時~19時 定 休 日:日曜、月曜、祝日

この冬新開発のダウンポンチョは、車いす利用者の着脱のしやすさはもちろん、一般の方の冬のスポーツ観戦にも活用できます。