Title “Eveline”の迷路、あるいは迷路の中のEveline Issue...

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Title “Eveline”の迷路、あるいは迷路の中のEveline Author(s) 木村, 英紀 Citation 沖縄大学人文学部紀要 = Journal of the Faculty of Humanities and Social Sciences(7): 29-40 Issue Date 2006-03-31 URL http://hdl.handle.net/20.500.12001/6127 Rights 沖縄大学人文学部

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Title “Eveline”の迷路、あるいは迷路の中のEveline

Author(s) 木村, 英紀

Citation 沖縄大学人文学部紀要 = Journal of the Faculty ofHumanities and Social Sciences(7): 29-40

Issue Date 2006-03-31

URL http://hdl.handle.net/20.500.12001/6127

Rights 沖縄大学人文学部

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沖縄大学人文学部紀要第7号2006

"Eveline”の迷路、あるいは迷路の中のEveline

木村英紀

要約

jamesjoyceは、DubImersを「用意周到に下品な文体にした」と書いているが、それが典型的に表れているのが、この“Eveline”である。また、Joyceは、意図的な省

略(ellipsis)を行っているため、特に結末をめぐっては多くの解釈がなされてきた。さらに、結末の段落自体がきわめて印象的で、読者に衝撃を与えるようなものであるた

め、この作品は、あたかも「迷路」であるかのように読者を迷わせ、再読を強いる。主

人公もまた、迷路をさまよった末に、Joyceが意図した“paralysis,,に陥る。本稿は、一見単純な構造とストーリーをもつこの掌篇が実に複雑な問題を孕んでいる

ことを明らかにするとともに、結末の意味をめぐる作品構造や主人公の心理、そして語

りの構造などを分析する中から、読みの「迷路」からの脱出を図る試みである。

キーワード:迷路、麻痩、描出話法、脱出、家族関係

1.はじめに

Shesetherwhitefacetohim,passive,hkeahelplessqnimaLHereyesgavehimnosiglof

loveorfa1℃weUor7℃Cognition.!(emphasismine)

きわめて謎めいた、印象的な結末の文である。すぐれた短篇小説は必ず読者に深く響くエンデ

ィングを持つものだ、と言えばそれまでであるが、ペーパーバック版でわずか6ページほどの、

短篇小説の中でもきわめて短いこの掌篇が、このようなエンディングとなることによって、読者

はしばし呆然となり、考え込まざるを得ない。あるいは、jamesjoyceは、Dublinersの中でも

最も短いこの作品を、きわめて意図的にそして周到に、いわば「迷路」のような構造にしたと詔しむべきなのか。

本稿は、この結末の意味をめぐる“Eveline”の作品構造や主人公の心理、そして語りの構造

などを分析する中から、この「迷路」からの脱出を図る試みである。

2.結末をめぐって

冒頭に引用した文は、恋人とともにダブリンの家からブエノスアイレスに駆け落ちを試みるが

土壇場で脱出を諦めた、19歳の少女Evelineの結末である。

イーブリンは、ここで人間`性を喪失した「動物」と形容され、一旦は遠い異国へ駆け落ちしよ

うと決心した相手を見る眼には、「愛とか別れの印もなければ、識別の印すらなかった」のであ

る。恋人のフランクを見ても、誰とも分からぬというような眼をしていたとすれば、これは完全

な「麻痩」("paralysis,,)であり、精神の死とも言える。2しかし、この結末に関する解釈も、批評家によってかなり異なる。二三の例を挙げてみよう。HaroldB1oomは次のように述べる。

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沖縄大学人文学部紀要第7号2006

Evehne,asjOycehas1℃p1℃sentedher,isneitherpasswenorahelplessanimaLjoycemakes

a摩eatrecovely,worthyofhim,mthefinalsentence:“Hereyesgavehimnosiglofloveorfarewellorrecognition.”Shehasnowilland,inthisnegativemoment,almostnoconsciousness.(3)

また、JohnPaulRiquelmeもBloomの解釈と同じで、“BycomparinghertoananimaLthetellerdoesnotsuggestbyanymeansthatsheissubhuman,simplythatherconditionisoneofsevere,paralyzingfear.”と主張する(76)。あるいは、御輿哲也は、「どんなに因習に

とらわれていようと、どんな想像力を欠いていようと、彼女は自らの無力さと最後まで戦おうと

している。」と述べる(3)。一方で、EarlG・Ingersollは、‘WhatisimportantistheclosingimageofEvelineasoneimmobnized,onewhosehandsarefrozentotherailing,onewholoseshumannessitself”と述べて、イーブリンの「人間」性の喪失」と解釈する(61)。い

ずれにせよ、冒頭の引用文で強調してあるように、“ahelplessanimal”や“nosignof…recognition”という表現が、イーブリンの陥った精神的状況が只事ではないことを示してい

ることは否定しようもない。彼女がここまで追いつめられるような状況になったのはなぜか。そ

して、彼女はこれからどう生きてゆくのか。この問いを巡って、多くの批評家がさまざまな解釈

を提示してきたが、しかしその決定版というのはまだないし、これからも多くの解釈が出される

だろう。なぜなら、HaroldB1oomが言うように、“Repeatedreadingsshowhowsubtle,andpoignantlyambivalentthestolybecomes.”だからである(1)。「痛切なほどに解釈が相反する

ような物語」であればこそ、そしてそのこと自体が大きな魅力ともなっているこの作品は、また

円環を一巡りして、再読することを読者に強いるのである。そして、われわれもまた、もう一度、結末に向かって、この物語を読み返さなければならない。

3.ストーリーの流れと構造

この作品の90%を占めるのが、イーブリンの回想と彼女の心の動きである。彼女は、これから

家を出て、恋人のフランクとともに北岸壁(theNorthWall)から船に乗って駆け落ちをしようとする、その日の夕方、窓辺のカーテンに頭を儒せかけながら思いを巡らす。

Shesatatthewindowwatchingtlleevenmginvadetheavenue・Herheadwasleanedagainstthewindowcurtainsandmhernostrilswastheodourofdusb/cretonneShewasti1℃..(36)

これがこの作品の最初の段落である。ここから、この「彼女」が、数時間後には遠い異国の地へ

と恋人と駆け落ちをする女性だと読み取ることは不可能である。むしろ、段落の最後にぽつりと

置かれた、“Shewastired,,という文に強い印象を受けながら読み進めるはずである。そして、

再び読み返した時には、後に出てくる“adistantunknowncountly,,(37)や、“ShewasabouttoexploreanotherlifewithFrank.”(38)というような表現によって喚起されるイメー

ジとの乖離に驚かざるを得ない。つまり、恋人と駆け落ちする直前の人間が普通持つであろうよ

うな心の昂ぶりや、動揺、あるいは悲憤感などが微塵もないということだ。むしろ、この段落から受ける印象は、主人公の疲労感の深さであり、またそれはロマン主義的な人生に対する疲れと

いうよりは、「ほこりっぽい」(“dusty,,)や「臭い」(“odour”)という表現から、-人の生活者の疲れといったものを感じさせる。あるいは、後述するように、結末との関連で言うと、この

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木村:“Eveline”の迷路、あるいは迷路の中のEveline

物語が始まった時点でイーブリンは、すでに何週間も思い悩んでいて、その出口のない迷路の中

で疲れ果てていたとも言える。

作品の構造という点からみると、次の第2段落からは、イーブリンの意識が連想によって動い

ていくような形態を取る。3通りに面した窓に座っている彼女の耳には、コツコツという男の

靴音が聞こえ、それはかつては原っぱだったところに新しく建った家の住人のものだということ

が分かり、そこから子供の頃を思い起こす。その原っぱには、近所の友達や彼女の兄弟姉妹と毎日のように遊んだ、楽しい日々がかつてはあった。ある意味では、それはイーブリンにとっての

「楽園」であったが、ベルファスト(Belfast)からやってきた男がその土地を買い、そこに新し

く何棟かの住宅("brightbrickhouseswithshiningroofS”(36))を建ててしまったため、永遠に失われたのである。その思い出は、彼女にとってはすでに遠い過去である("Thatwasa

longtimeago.”(37))。そして、その間に、母が死に、TizzieDunnが死に、Watersの一家はイギリスへと戻って行った。そこから“Evelythingchanges.”という彼女の感覚、あるいは感

I慨を受けて、“Nowshewasgoingtogoawayliketheothers,toleaveherhome.”(37)という事実が、描出話法(representativespeech)4によって、この段落の最後で語られる。そして、この“home”を受けて、第3段落は、“Home!”で始まり、イーブリンは部屋の中

を見回す。そこには、壊れた足踏みオルガン("thebrokenharmonium,,(37))の上の壁に変

色した司祭の写真("yellowingphotograph”)があり、また「福者マーガレット・メアリ・アラッコク様になされたお約束」の色刷りの版画("thecolouredprintofofthepromisesof

madetoB1essedMargaretMaIyA1acoque',(37))が掛けられている。これら-つひとつが、象徴的な意味合いを持つのだが、特に「お約束」は、回想の最後のあたりに出てくる死ぬ間際の

母との約束("herpromisetokeepthehometogetheraslongasshecould”(40))へと繋がっていく。また、この段落で何よりも印象に残るのは、「ほこり」("thedust")である。

そして、回想と第3段落の現実の部屋の描写の次にくるのが、駈け落ちに対するイーブリンの感`情や考え方である。

Shehadconsentedtogoaway,toleaveherhome、Wasthatwise?ShetliedtoweigheachsideoftheqUestionmherhomeanywayshehadshelterandfbod;shehadthoseWhomshehadknownallherlifeabouther、Ofcourseshehadtowolkhard,bothmthehouseandat

busmess.(37)

ここで、イーブリンの思考の中心にあるものは、“shelterandfbod'’であり、周囲の慣れ親し

んだ人々の存在である。しかし、そうした「安定した」生活のために彼女が払わなければならない犠牲が、この第4段落と次の第5段落で述べられる。一つは、週給7シリングという安い給料で、百貨店の店員として、厭味ったらしい小言に追われながら働かなければならないという犠牲である。もう一つは、父親の存在であり、家事はもちろんのこと、二人のまだ小さい弟妹の面倒

も見なければならないという犠牲である。酒浸りの父親から暴力を振るわれるのではないかとい

う恐怖。父親に給料を全て渡しているにもかかわらず、食料を買うためのお金を父親に要求する度に聞かされる父親からの厭味と罵署雑言。これが毎週土曜の夜に繰り返される。そして、ようやく父親から貰った金の入った財布を握りしめ、仕事で疲れた体を押して、店が閉まらないうちに急いで(おそらくは一週間分の食料の)買い物に出かけなければならない。

ThenshehadtorushoutasqUicklyasshecouldanddohermarketing,holdingherblack

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沖縄大学人文学部紀要第7号2006

leatherpursetijlt]ymherhandassheelbowedherwaythrCu血thecrowdsandreturning

homelateatmjltunderherloadofprovisions.(38)

年上の少女に対する思慕の念を胸に、叔母の買い物のお供をする、“Araby”の主人公とは何という違いであることか。

Herimageaccompaniedmeevenmplacesthemosthostiletoromance・OnSaturday

evemngsWhenmyauntwemmarketinglhadtogotocalTysomeofthepa1℃els・Wewalked

througltheUalingStreets.…Thesenoisesconvelgedmasmjesensationofliiefbrme:I

imagmedthatIboremychalicesafeMhroujlathrongoffbes.(31)

イーブリンの日常は、かくして“ahardlile”という言葉に集約される。ただし、このように彼

女の生活がいかに辛いものであることが語られた直後に、「いざこの生活に別れを告げようとす

る段になると、この生活が全くひどい生活だとは思えなかった。」という表現が続くことは、見

落とすことができない("Itwashardwork-ahardlife-butnowthatshewasaboutto

leaveitshedidnotfinditawhoUyundesirablelife.”(38))。

このような日常の中に出現するのが船乗りのフランクである。その出会いと付き合いが次の第

6,第7段落で描写される。いわば、フランクは、イーブリンの辛く単調な日常の中に突如とし

て現れた、非日常を具現化した人物である。

HowweusherememberCdthefirsttimeshehadseenhn;hewaslodgingmahouseonthe

mamroadWhe正sheusedtovisit・Itseemedafewweeksago、Hewasstandingatthegate,hispeakedcappushedbackonhisheadandhishairtumbledfbrwardoverafaceofbronze,

Thentheyhadcometoknoweachother.(38)

非日常の出来事だからこそ、彼女はその出会いをよく覚えているのである。フランクとの付き合

いの中で、イーブリンは今まで座ったことのない劇場の高価な席で歌劇を見、彼の乗船した船や

航路の名前や見知らぬ遠い異国の話を聞く。退屈な日常を送っている彼女にとって、こうした付き合いが曇惑的に思えたであろうことは、容易に想像できる。“Firstofallithadbeenan

excitementfbrhertohaveafellowandthenshehadbeguntolikehim.,,(39)という表現は、作品の結末を知っている読者にとっても、ごく自然なものだと感じることができる。あるい

は、フランクがイーブリンの「欲望」を目覚めさせたと言うこともできるであろう。したがって、

次のような批評も否定することができない。

Mostimportant,hehasencouragedhertotravelwithhimmto1℃ahnsofdesireasismade

clearbythesuggestionofherbemg“pleasantlyconiilsed,,bytheknowledgethatothers

knowtlleyarecourtingespeciaUyWhenhesingsthesongofthe“1assthatlovesasailof,、

AselsewhereinDubItners,thesigmfier“conftlsed,,indicatesanarousalofdesireof

Evehne.(IngersoU59)

この他にも、多くの批評がフランクの存在やイーブリンの「恋」について分析を試みており、そ

の解釈は多岐に亘るが、その点については後述することにしたい。

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木村:“Eveline”の迷路、あるいは迷路の中のEveline

次に、語りは一瞬現在に戻るが、それは時間の経過を表すに過ぎず、イーブリンは、膝の上に

置いた父親と兄への2通の書き置きから、再び父親のことを考える。前述のように、家長として

威張り散らし、酷い言葉を浴びせかけるだけでなく、自分に暴力を振るうのではないかとさえ思

わせる父親だが、イーブリンは時折見せる父親のやさしさを思い("Sometimeshecouldbe

velynice.”(39))、ちょっと前に彼女が寝込んだときに父がやさしくしてくれたことを思い出す。そして、父親がこの頃ではめっきり老けてきたことを思う。さらには、子どもの頃、家族みんな

でピクニックに行ったときに父親が子どもたちを笑わせるために母親の帽子を被ってみせたこと

まで思い出す。こうしたイーブリンの心の動きは、父親に対するアンビバレント(ambⅣalent)

な感`情を有することを示していて、後の彼女の行動に対する-つの伏線にもなっている。

次の第9、第10段落は、イーブリンの回想場面のクライマックスとも言える部分である。家を

出なければならない時間が迫ってきているが、彼女は作品冒頭の場面と同じ姿勢を取り続けてい

る。ただし、前に引用した部分と較べればすぐに分かるのだが、冒頭で用いられた状態動詞では

なく、動作動詞が使われているのが示唆的である。

Hertimewasrunnmgoutbutshecontinuedtositbythewindow,leanmgherheadagainst

thewindowcurtain,mhahngtheodourofdusWcretonne.(39)

"Herheadwasleaned,,ではなく“leaningherhead”であり、“inhernostrilswasthe

odourofdustycretonne,,ではなく“inhalingtheodourofdustycretonne”である。これは、イーブリンの中にフランクとの待ち合わせの場所に行かなければという、行動への意識が出

てきたことを示している。しかし、その時に流しのオルガン弾きの曲が聞こえてきて、その曲は

母の最期の夜に聞こえてきた曲("amelancholyairofltaly,,(40))であったことから、母の臨終の場面への回想へと移っていく。同時に、母親との約束("promise")、「できるだけ長く家にとどまり家事を切り盛りするという約束」を思い出す。

母親の人生は、イーブリンにとって決定的な意味を持つ。犠牲ずくめの生活の果てに狂気に陥

り、訳の分からぬ言葉を吐きながら死んでいった母親。その哀れな生のイメージは「まさにイー

ブリンの存在の急所に呪文をかけた」のであり、彼女は漂然とする。

AsshemusedthepitifUlvisionofhermotherIslifelaiditsspeUonthevelyqUickofher

being-thatliieofconⅡnonplacesacriiicesclosmgmfinalcrazmess・Shetrembledassheheardagamhermotherisvoicesaymgconstantlywithfbohshmsistence:

-DerevaunSeraun1DerevaunSeraun!(40)

この“DerevaunSeraun',にjoyceは説明を与えていないため、さまざまな解釈があるが、ケルト語の崩れた形で、“theendofpleasureispain,,とか、“theendofsongisravingmadness”(GiffOrd51-52)という解釈が一般的になりつつある。ケルト語を知らないわれわれ

にとっても、何か異様な響きを持つように感じられるのは、“spell”という語が直前に用いられ

ているせいであろうか。いずれにしても、母親のような人生だけは送りたくないと思い続けてき

たイーブリンの耳に甦った、発狂した母のこの譜言("DerevaunSeraun1")が決定的な引き金

となる。「突然襲ってきた恐怖の衝動」にイーブリンはついに立ち上がる。そして、“Escape1

Shemustescape1Frankwouldsaveher.”(40)と描出話法で彼女の感情がむき出しに表現され、場面はフランクと共に乗る船が停泊している北岸壁へと移るのである。

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沖縄大学人文学部紀要第7号2006

4.視点と文体、主人公の心理

さて、われわれは、最後の場面まで辿りついたわけだが、この部分を分析する前にいくつかの

問題を先に検討する必要がある。第一に視点の問題、次にそれと不可分の文体の問題とイーブリ

ンの心理の問題である。

この作品の文体の著しい特徴は、三人称小説の形で書かれているにもかかわらず、語り手の視

点から客観的に描写された部分よりは、主人公の視点から書かれた部分が圧倒的に多いという点

である。したがって、イーブリンの視点から書かれた部分は、描出話法を用いることも多い。彼

女は、下層中産階級の娘で高等教育を受けていないという設定になっているため、描出話法を用

いた部分の文体は、平板な文体で、冗長で繰り返しも多いものとなっている。一例を挙げると、

後の引用文にも出てくるが、“Nowshewasgoingtogoawayliketheothers,toleaveherhome”(37)というように同じ内容を繰り返す文や、第2段落だけで5回も繰り返して用いられ

る“usedto"、という具合である。しかし、これにはもちろん作者の周到な計算が働いている。

米本義孝は、次のように鋭い分析を行っている。「主人公の意識を淀みなく表出するのに、文構

造の一部を話し言葉に替えたり、場所と時間に関する副詞に‘here',‘noW,などを使っている。

そのため、現在時制に近接した時間のなかで、Evelineの思考や意識の様相が一人称で展開され

ているような雰囲気を醸しだし、しかも間接話法がもつ客観的で冷厳な効果をもあたえている。」

(27)いわば、イーブリンの思考と感情が読者に直接響くような仕掛けとなっているのである。

それは、直接話法で語るよりも(この作品でイーブリンが直接話法で語る部分は皆無である)、

引用符の煩わしさから解放されているためか、読者に深い印象を残す。一人称形式は基本的に語

り手と主人公が同一であるため、視点の移動は基本的には無いが、三人称形式の場合は視点の移

動が自由で、なおかつ描出話法を用いた場合には、視点的人物の心理が直接響くだけではなく、

時として語り手のそれが重なるため、その響き方が倍加する効果すらある。

この作品における描出話法の部分は、結末に近づくにつれて、そのトーンがあがり、絶叫に近

いものとなる。これは、イーブリンの心理が、現実の駈け落ちの瞬間に近づくにつれて、冷静さ

を失っていく過程と不可分のものであることは言うまでもない。彼女の意識はつねに母親の人生

と自分の人生との比較に規定されているのだが、回想の半ばの辺りでは、まだ冷静さを保っている。

Butmhernewhome,madistantunknowncountly,itwouldnotbehkethat、Thenshe

wouldbemanied-she,Evehne・Peoplewouldtreatherwithrespectthen・Shewouldnottreatedashermotherhadbeen.(37)

しかし、すでに見たように、回想の終わりの場面で、惨めな母の死と、狂気に陥った母の声を思

い出した時、イーブリンはついに決心し行動に移るのである。

ShestoodupmasuddenimpulseoftelTor・Escape1Shemustescape1Frankwouldsaveher・

Hewouldgiveherlife,perhapslove,tooButshewantedtolive、Whyshouldshebe

unhappy?ShehadarighttohappmessFrankwouldtakehermhisanns,fbldhermhis

annsHewomdsaveher.(40)

心の底から噴出したような叫びであるが、しかしこの叫びがイーブリンの最終的な決断ではない

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木村:“Eveline”の迷路、あるいは迷路の中のEveline

ことは、結末を知っているわれわれには明白なことである。もちろん、この叫びの中にイーブリ

ンの真実はある。彼女は、母親の人生から逃亡したかったのだし、それはとりもなおさず、家父

長的支配者である父親からの逃亡である。この願望と意志が-時の「気紛れ」だと断定できる読

者はいない。にもかかわらず、彼女は迷うのである。家を出て北岸壁に向かう途中で彼女の心の

中にどんな変化が起きたのか。それはこの作品の中で語られぬ最も大きな「欠落」であるが、読

者に知らされることはない。上に引用した部分の後に、ブランクが置かれ、場面は北岸壁でのフ

ランクとイーブリンの姿へと移るからである。したがって、この語られぬ「欠落」こそが謎とな

り、読む者の想像力をかき立てるという仕掛けをjoyceは作ったのである。5

5.再び結末をめぐって

さて、結末の部分であるが、先に述べたように、家から北岸壁までの経路は一切省略されて、

イーブリンはフランクとともに埠頭の駅舎のごった返す人混みの中に立っている。フランクは彼

女に航海について頻りに話しかけるが、彼女は何も答えない。目の前には、これから乗る船が

「黒々とした大きな塊」("theblackmassoftheboat,,)として見える。イーブリンは、「頬が

青ざめ冷たくなるのを感じ、苦悩の迷路のなかで、自分を導き、自分の義務は何かを示したまえ

と神に祈るのであった。」("Shefelthercheekpaleandcoldand,outofamazeofdistress,

sheprayedtoGodtodirecther,toshowherwhatwasherduty.”(40))

この場面の直前の、“Escape1Shemustescape1Frankwouldsaveher.”の部分とは何と

いう違いであろう。何が彼女の気持ちを変えたのか。作者は一切説明しない。そのためさまざま

な解釈と読みの可能性が出てくる。6-つの可能性として考えられるのは、フランクと出会う

まで夢想もしなかった家とダブリンからの脱出が目前に迫ってくると、イーブリンの決心が揺ら

ぎ出したということである。だからこそ、彼女の思いは、過去と現実と将来をない交ぜにしなが

ら、思念と感情の迷路をさまよう。イーブリンは、家とダブリンという慣れ親しんだ世界とブエ

ノスアイレスという遠い未知の世界との間で、また母の生き方と自分の生き方との間で、さらに

は父親への反発・憎悪と家を守るという母との約束との間で、フランクに対する信頼と不信との

間で引き裂かれるのである。したがって、彼女の回想の場面には、“Shehadconsentedtogo

away,toleaveherhome.”(37)や“Hertimewasrunnmgoutbutshecontinuedtositbythewindow…”(39)などの表現が時折挿入され、「すでに同意し、約束してしまったのだ」とい

う自らに言い聞かせるような思いや、「このままここに座っていれば」という思いが表出される。

母親の死の場面がイーブリンの感情の激発を誘引し、彼女はついに決心して家を出るが、おそら

くは北岸壁の駅に向かう途中で、その感情の昂ぶりが収まると、再び迷路の中に入り込んだので

はないだろうか。

そして、迷路の中のイーブリンは、乗船の時間が次第に迫ってくる中で、さらに心理的に追い

つめられていく。その圧迫感は彼女の肉体的な反応を引き起こしながら、彼女を極度の迷いと混

乱状態に叩き込む。乗船の合図の鐘が鳴ると、もはや猶予もならず、イーブリンは惑乱する。

Herdistressawokeanauseamherbodyandshekeptmovingherhpsmsilentfervent

prayer・

AbeUclangeduponherheart、Shefelthimseizeherhand:

-Come1

AntheseasofthewolldtumbledaboutherhealtHewasdrawinghermtothem:hewould

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沖縄大学人文学部紀要第7号2006

drownherShegippedwithbothhandsattheironrailing-Come1

No1No1No1Itwasimpossible・HerhandsclutchedtheironmfTen巧7.Amidtheseasshesentaclyofanguish!(41)

イーブリンのフランクへの期待と救済の希望はもはや消え去り、反対に彼が自分を大海の中に溺れさせようとしているという恐怖感に囚われ、彼女は狂乱状態で手すりにしがみつく。この引用の直後に、最初に引用した結末が続くのである。こうして、イーブリンは「無力な動物」のような状態でフランクを識別する力すら失い、その場に立ち尽くす。彼女のダブリンと家からの脱出の試みは挫折するのである。

なぜこうなったのか。イーブリンの意志が弱かったのか。それとも、彼女のフランクへの愛`情はそれほど深いものではなかったからか。そして、われわれはこの結末をイーブリンの敗北と見るべきなのか。

この問いに答えるのは、容易ではない。前述のように、作者は十分な`情報を読者に与えていないからである。そこで、われわれは限られた情報を基に推測するしかないのだが、第一の鍵は、イーブリンと母親との関係である。母の死が彼女にもたらした衝撃は大きい。母が生きていた頃はまだ幸せだったと回想していることから("StilltheyseemedratherhappythenHerfatherwasnotsobadthen;andbesides,hermotherwasalive.”(36-37))、イーブリンに

とって母の存在が自らの生に安定と安全を与えてくれていたと考えていると言ってよい。一方で、母の死後、自分が第二の母として家事の一切をやらなければならない立場になってみると、母の人生は“thatlifeofcommonplacesacrificesclosinginfinalcraziness,,(40)としか見えない。母の人生を繰り返すことだけはどうあっても避けたい、というのが19歳であるイーブリンの切なる願望であり、人生の目標である。無論、これと密接に結びついているのが、父親との関係であり、それが第二の鍵である。前に見たように彼女の父は飲んだくれで、家の中の絶対的支配者であり、母を死に追いやった暴君である。イーブリンは、母の代役として父の暴力の危険に曝されており、その支配から脱出しなければならない。7しかし、父からの解放が、結婚という形で実現されるとしても、それが新たな暴君への奉仕となるのであれば全く意味がない。同時に、父親との関係と、父と母の関係からイーブリンの意識の中には男性恐怖、あるいは男性不信が深く刻み込まれていると推測することが可能だとすれば、脱出の手段として結婚(駈け落ち)を選択したことが彼女を出口のない迷路に追い込んだとも言える。

当時のダブリンの状況からすると、イーブリンは確かに低賃金ではあったが、何とか自活することは可能だったという指摘もある。8しかし、それは相当の貧窮した生活であっただろうし、

母親との「約束」が彼女の意識を呪縛していたのかもしれない。しかし、次のようなJoyceの伝記的事実を考えると、われわれの持っているイーブリン像はかなり違って見えてくるかもしれない。Joyceの生涯の伴侶となるノラ(NoraBarnacle)は、首都ダブリンのちょうど反対側の西海岸の港町であるゴールウェイ(Galway)の出身で、ほとんど無学に近かったが、ダブリンに-人出てきてホテルのメードをしていた。,Joyceが彼女と巡り会ったのが1904年6月10日で、この作品がTheImtshHOmesteadに掲載されたのが9月10日、そして彼が制度としての結婚に反対だったため二人で大陸ヨーロッパに向けて駈け落ち同然にダブリンを出たのが10月8日であった。

いわば、イーブリンはノラと対極的な人生の選択をしたのである。’oこれが、前述の問いに答える決定的な鍵であるように思われる。イーブリンの悲劇は、男に対して拭いがたい不信感を抱

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木村:“Eveline”の迷路、あるいは迷路の中のEveline

きながら、父親からの脱出の手段として男の力に依存するしかなかったという点にある。無論、

金銭的依存の問題に彼女が無自覚だったわけではない。彼女は北岸壁の場面で、旅費を含めてフランクがこれまで自分のために費やした金のことを考える。‘TTleirpassagehadbeenbooked・

Couldshestilldrawbackafterallhehaddonefbrher?”(41)イーブリンにとっては、フラ

ンクの愛情に応えることができないことに対する罪悪感より、彼の自分への「投資」を無駄にすることに対する罪の意識の方が強いのである。これは、イーブリンのフランクに対する期待から容易に導かれることでもあろう。再び引用してみよう。“Frankwouldsaveher,Hewould

giveher肱,perhaps,1ove,tooButshewantedtolive、Whyshouldshebeunhappy?Shehadarighttohappmess.”(40、強調は引用者)彼女は、何よりも「(安定した)生活」を欲しているのであり、「愛情」はその次にくる。そしてそれが彼女にとっての「幸福」の条件なのである。こうしてみると、HaroldB1oomが言うように、フランクを「狡滑な誘惑者」として

見る解釈は、あまり意味がないと思われる(1)。

かくして、再び家に引き返し、元の生活に戻るイーブリンにどのような将来があるのであろう

か。DonGiffbrdが指摘するように、1901年のアイルランドにおける16歳以上の女性の結婚率が52.7%ときわめて低いことを考えると、フランクとの結婚のチャンスを逃したイーブリンは母

親と同じような道は歩まないかもしれないが、“C1ay”の主人公であるMariaのように未婚女性として人生を終える可能性の方が高いかもしれない(12)。いずれにせよ、イーブリンの精神的な

麻痩は生涯続くであろうし、絶対に取り返しのつかぬ後'海という新たな迷路の中を佑裡わればならないであろう。

本来ならば、ここでこの小論を閉じるべきであろうが、もう一言だけ付け加えたい。それは、何かまだ論じ尽くしていないという感じを引き摺りながらこの小論を取りあえず終わらせなければならない、という感覚に捉われているからであり、筆者が知る限りの“Eveline”論(主として“Eveline”にのみ焦点を当てたもの)-独善的だと思われるものは除いて-からはやはりそ

のような印象を受けるからである。その理由は、この作品を読む者が“amazeofdistress”の中に引きずり込まれるという感覚を持ち苛立つからではなく、“amazeofdelight”の中でもっと「テクストの'快楽」に浸りたいという気にさせるからである。Bosinelliらが編者となった

DubIine7sに関する論文集が、ReJOicingという酒落たタイトルになっているのも頷ける。これは、「Evelineの勁さ」ではなく、“Eveline”の強さである。

1.jamesjoyce,Dubliners:TextandCrtticisnLEd、RobertScholesandA・WaltonLitz(NewYork:Penguin,1996)41.以下、本文中でのDubltnersからの引用はこの版に依り、括弧内にページ数を示す。

2.この作品は、Dublinersの中では、「少年期」を扱った3作に続く、「青年期」に属する4番目の作品である。有名なGrantRichardsに宛てた有名な手紙(1906年5月5日付け)の中

で、Joyceは次のように書いている。

“MyintentionwastowriteachapterofthemoralhistolyofmycountryandlchoseDublinfbrthescenebecausethatcityseemedtomethecentreofparalysis・I

havetriedtopresentittotheindifferentpublicunderfburofitsaspects:childhood,adolescence,maturityandpubliclifeThestoriesarearrangedinthisorder.,,(jamesjoyce,‘`ALettertoGrantRichards,May5,1906”inDublinersmextand

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沖縄大学人文学部紀要第7号2006

CrttictsnrL262)

ajoyceは、表面的にはリアリズムの形式をとりながら、連想と描出話法の多用によって、後

のAPDrtMtq/・theA「tistasaYOungMCLn(1916)やUIUsses(1922)などで用いられる「意

識の流れ」(mthestreamofconsciousnessi,)の方法論を、萌芽的にではあれ、すでにこの2

作目の短篇を書いた1904年の時点で獲得していたとも言える。

4.自由間接話法(freeindirectspeech)とも呼ばれるが、登場人物の内面をあたかも直接話

法を使ったような形で表出するという意味では、representative(再現前)speechと呼ぶ方が相応しい。

5.この点に関して、MargotNorlisは次のように問いかける。‘Whatisatstakeinkeepingthereaderinthedarkaboutwhatisgoingon,andobligingthereadertodraw

inferences,tospeculate,totakerisksincreatingscenariosfromuncertainandpartialinfbrmation?”(56)しかし、彼女もこの問いに十分に答えているわけではない。ま

た、KeⅥnJ.H・Dettmarは、“Joyce'sstrategiesfbrunsettlmgourreading”と述べている(174)。

6.例えば、WandaBalzanoは、イーブリンは俗世の「修道女」の暮らしを送っていると解釈

し、次のように主張する。“CatholicsknowthatoneofthewaystomakepossibleconstantconversationwithGodisbystrivingtowardsperfectionbyinnersilence;

thisisparticularlytrueofmanyordersofnuns.…Inthecourseofthenarrative

EvelineneveruttersawordlnordertoeXplainherelopementtoherfatherand

brothershedecidestowriteinsteadAttheNorthWalLwhenFrankspeakstoheraboutthepassage,shecouldbesaidtobeinconversationwithGodbecauseShe

answerednothing・Shefelthercheekpaleandcoldand,outofamazeofdistress,

sheprayedtoGodtodirecther,toshowherwhatwasherduty.,”(92)しかし、こうした議論は、“overinterpretation”と言うしかない。

7.イーブリンと父親との間の近親相姦的関係を疑う批評もある。例えば、SuzetteAHenke

は、“Shemustfetishiseherbodyandofferherselfassexualandsocialvictimtoa

demandingpatriarchwhothreatensincestuousentrapment.”(62)と書いており、ま

た、Balzanoは、“Ifwedecidetoreadtheseallusionsasasuggestionofincest,andconsequentlybelievethatthose‘twoyoungchildrenwhohadbeenlefttoher

charge,-mightbethefruitofsuchafbrbiddenrelationship.”(89)とまで述べる。しかし、そのような含意がテクストから読み取れるというのは、“overinterpretation”だと思われる。

8.“IfEvelineweretotlytoliveonherown,Dublin,1904,shecouldhavefbunda

tenementroomfurnishedfbrfburshillingsperweek,unfUrnishedfbroneshillingslxpencelfshehadafewsticksoffurniture,shecouldhavefbundaccommodation

fbrjustalittlemorethanone-fifthofherpaltlysevenshiUingsalaly.”(Giffbrdl4)

9.EdnaOBrienは、その簡潔なJoyceの伝記の中で、出会った頃のNoraを、“afairlyilliterateGalwaygirlwhowaspluckyenoughtoleaveherownfamilyandfindemploymentasachambermaidinFinnisHotelinDublin”(37)と描いている。

10.MargotNorlisは、BrendaMaddoxのⅣ0m(1988)に依拠しながら、イーブリンとノラの家

庭環境の類似性を指摘している(66)。

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The Maze of "Eveline" or Eveline in a Maze

Hidetoshi KIMURA

AbstractJames Joyce wrote, "I have written it[Dubliners] for the most part in a style of

scrupulous meaness... ," and the style of "Eveline" is the typical example. Besides,

Joyce omitted the very core of Eveline's psychology in this very short story andthese ellipses have made critics give a wide variety of explanations, especially, for

the ending paragraph, which is much impressive and enigmatic, and gives thereader a great shock. Hence, this work puzzles the reader, as if he is in a maze, and

forces him to read it over and over again. The protagonist herself wanders in a

"maze" and finally is thrusted into the snare of "paralysis" prepared by the

author.

This paper intends to clarify the fact that "Eveline," which has a simple

structure and story at first glance, has highly complex problems, and to extricateourselves from the maze of interpretations, by analyZing the structure of the plot,the protagonist's psychology, and the structure of the narrative.

Keywords: maze, paralysis, representative speech, escape(elopement), family

relationship

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