人の か 事故分析手法POAM 業務・の...POAMを用いた組織的改善とは...

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インシデント・アクシデントは,日々発生 していることと思います。書かれている中身 の出来不出来の差はあるでしょうが,インシ デントレポートを読むことによって,何が起 こっているかを把握できることでしょう。と ころで,医療安全管理者が,インシデントレ ポートを読み,分析して対策を立案し,実施 するという流れのすべてを追うのは,物理的 に不可能です。 本稿では,武蔵野赤十字病院での事例を中 心に紹介します。武蔵野赤十字病院では,イ ンシデントの原因についてプロセスに着目す ることや,インシデントの対策立案を効果的 に進めるためのトリアージを行っています。 トリアージで用いる手法の一つに,個人に対 する注意喚起にとどまらない対策を立案し, 業務・仕組みの改善に結び付けるための分析手 法である「POAM(Process Oriented Analysis Method)」があります。POAMを用いて医療 安全管理をどのように進めていくのかについ て解説します。 この記事のポイント 個人への注意喚起から 業務・仕組みの改善へ! ~POAMを用いた業務改善 【病院事例】 武蔵野赤十字病院 医療安全推進センター 医療安全推進室 医療安全管理者  黒川美知代 【解説】 千葉工業大学 社会システム科学部 経営情報科学科 准教授 佐野雅隆 プロセスに着目した 事故分析手法POAM 当院では,QMS-H研究会が開発した与薬 業務の事故分析手法POAMを使用していま す(POAMの具体的な方法の紹介や,導入 に向けた工夫については,次号からの連載で 詳しく紹介します)。 POAMでは,図1に示すような与薬業務の モデル図を用いて,事故の状況を書き表しま す。本誌読者であれば,ImSAFERにおける時 系列事象関連図やRCAでの出来事流れ図を記 述することによって,より深く分析すること ができると思います。POAMでは,現場で起 こっている事例をより手軽に分析するため, 業務を3つの段階に分けて,業務の振り返り を可能にし,「プロセス指向」と呼ばれるプロ セスに着目することをねらいとしています。 もちろん,ImSAFERやRCAの方がより詳 しく分析することが可能です。しかし,分析 が長時間になってしまう傾向や,複雑な事象 を解きほぐせる手法でありながら,分析者の スキルによってはあまり効果が発揮されない ということもあるのではないでしょうか。 東京都武蔵野市に位置し,三次救急,がん診療連携拠点病 院,地域医療支援病院,肝疾患診療拠点病院などを担う高 度急性期医療の病院。病床数611床,病床利用率92.5%平均在院日数10.2%,年間救急受け入れ台数10,511台 (2017年実績)。1994年より医療安全活動に取り組んでいる施設概要武蔵野赤十字病院 図1 与薬業務のモデル図 モノ ③正しいモノ ⑥誤ったモノ 作業 ④正しい作業 ⑤誤った作業 情報 ②正しい情報源: 正しい情報 ⑦誤った情報源: 誤った情報 27

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 インシデント・アクシデントは,日々発生していることと思います。書かれている中身の出来不出来の差はあるでしょうが,インシデントレポートを読むことによって,何が起こっているかを把握できることでしょう。ところで,医療安全管理者が,インシデントレポートを読み,分析して対策を立案し,実施するという流れのすべてを追うのは,物理的に不可能です。 本稿では,武蔵野赤十字病院での事例を中心に紹介します。武蔵野赤十字病院では,インシデントの原因についてプロセスに着目することや,インシデントの対策立案を効果的に進めるためのトリアージを行っています。トリアージで用いる手法の一つに,個人に対する注意喚起にとどまらない対策を立案し,業務・仕組みの改善に結び付けるための分析手法である「POAM(Process Oriented Analysis Method)」があります。POAMを用いて医療安全管理をどのように進めていくのかについて解説します。

この記事のポイント

個人への注意喚起から業務・仕組みの改善へ!~POAMを用いた業務改善

【病院事例】武蔵野赤十字病院 医療安全推進センター医療安全推進室 医療安全管理者 黒川美知代

【解説】千葉工業大学 社会システム科学部経営情報科学科 准教授 佐野雅隆

プロセスに着目した 事故分析手法POAM

 当院では,QMS-H研究会が開発した与薬業務の事故分析手法POAMを使用しています(POAMの具体的な方法の紹介や,導入に向けた工夫については,次号からの連載で詳しく紹介します)。 POAMでは,図1に示すような与薬業務のモデル図を用いて,事故の状況を書き表します。本誌読者であれば,ImSAFERにおける時系列事象関連図やRCAでの出来事流れ図を記述することによって,より深く分析することができると思います。POAMでは,現場で起こっている事例をより手軽に分析するため,業務を3つの段階に分けて,業務の振り返りを可能にし,「プロセス指向」と呼ばれるプロセスに着目することをねらいとしています。 もちろん,ImSAFERやRCAの方がより詳しく分析することが可能です。しかし,分析が長時間になってしまう傾向や,複雑な事象を解きほぐせる手法でありながら,分析者のスキルによってはあまり効果が発揮されないということもあるのではないでしょうか。

東京都武蔵野市に位置し,三次救急,がん診療連携拠点病院,地域医療支援病院,肝疾患診療拠点病院などを担う高度急性期医療の病院。病床数611床,病床利用率92.5%,平均在院日数10.2%,年間救急受け入れ台数10,511台(2017年実績)。1994年より医療安全活動に取り組んでいる。

施設概要●武蔵野赤十字病院

図1●与薬業務のモデル図

モノ③正しいモノ ⑥誤ったモノ

作業④正しい作業

⑤誤った作業①

情報②正しい情報源:正しい情報

⑦誤った情報源:誤った情報

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POAMを用いた組織的改善とは

 医療安全管理者の仕事は多種多様です。インシデントの分析や,新人教育,研修の講師は誰にするかなど,目の前の業務に追われているかもしれません。しかし,改めて何を目的として活動し,どのような状態を目指せばよいかを考えてみた時,組織を安全な医療が提供できる状態にすることが医療安全管理者には求められているのではないかと思います。 図2は,インシデントの発生から,対策立案および周知徹底までの流れを表したものです。現場で事故が発生した際,いったい何がどのようにして起こったのか,間違いを起こす要因には何があったのかを現場で分析します。この時,POAMを使うことによって現場の作業者はプロセスに着目した分析が可能になります。ここまでの分析はフェーズ1と呼ばれ,現場レベルの情報を整理します。 次に,フェーズ2として,院内でよく起こっているインシデントはどのようなものであるか,傾向を把握します。1件1件の事例に対して,業務の変更を伴う対策を随時実施していくことは容易ではありません。そのため,現実的なアプローチとしては,よく起こって

しまう事例や影響度が大きいためすぐに手を打ちたい事例などの優先順位を決めて対策を立案し,業務の改善と周知徹底を図っていきます。その時,記事2(P.9~14)にあるような可視化ができていると改善を進めやすいでしょうし,記事3(P.15 ~20)にあるような文書管理を着実に行うことで,改善の効果を組織全体に行き渡らせ,さらに,いつの間にか前の状態に戻ってしまっていたという事態を防ぐことができます。ここからは,POAMの具体的な活用について当院の事例を述べます。

POAMを用いた業務改善事例

病院での実践をどのように行うか? 当院は,早稲田大学棟近研究室と共同で医療安全に関する研究に取り組んでいます。2001年に医療のプロセスについて学び,モデル図の説明を受けて,インシデントレポートの書式(当時は紙ベース)を改訂しました。筆者は,開発段階からPOAMにかかわりました。POAMを院内の事故分析に導入するに当たっては,看護部の看護安全委員会(各病棟のリンクナースが集まる委員会)において勉強会を始めました。 当院の医療安全の考え方は,大きくは次の3つです。①一人ひとりが医療安全の意識を持って安全行動を行う「全員参加型」である。

②職種・部署の垣根を越えた情報共有による改善活動を行い,対策の標準化を進める。

③作業プロセスを可視化し,作業プロセスの中で確認行動や根拠に基づいた行為を実践することで安全を確保する。

 当院では,課題に関係する職種・部署の医療者が互いに情報を共有しながら課題解決に

図2●病院組織としてのインシデント管理体制

業務の改善

周知徹底

業務の実施

改善案の検討

部門

作業者

部門

作業者

部門

作業者

傾向分析

報告

要因分析

情報の整理

事故発生

〈Phase〉1

病院全体の分析

各現場の分析

病院長

安全管理者

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向かい,医療提供の仕組みを改善することで医療の質・安全を高めています。その中で医療安全推進室は,課題解決に向けた方向性を示す,関係者間の調整役を担っています。

部署での活用を通じた定着化 POAMの定着化を目的として,次の2つの活動を行っています。

①�看護安全委員を中心とした�各部署での勉強会を展開

 分析手法を習得して部署内で活用する推進者となるために,看護安全委員会の中で委員を対象とした勉強会を開催しています。さらに,勉強会に参加した委員は,各部署で勉強会を行って周知することにしています。

②インシデントカンファレンスでの活用 部署内で発生した与薬や検査に関するインシデントについて,POAMを用いて分析することを推奨しています。

新人看護師教育を用いた 医療安全の考え方の教育・底上げ 新人看護師教育プログラムの中で医療安全に関する教育は,「安全1:総論および看護師が行う安全確認行動」「安全2:転倒・転落事故の予防(非プロセス型の事故)」「安全3:プロセス指向(POAMの考え方を学ぶ)」を行っており,実技研修としては「輸液ポンプ・シリンジポンプの研修」などを行っています。総論においては,品質管理の考え方に基づいた医療安全活動についての説明を行う中で,プロセス指向についても講義をしています。プロセス型の事故にはどのようなものがあるのか,プロセス型の事故が発生した場合のとらえ方と再発防止の考え方について,POAMを用いた研修をしています。 入職したばかりの新人看護師には,事故分

析手法のスキル習得は目的とせず,まずは作業プロセスに沿ったPOAMの枠組みを書かせています。そうすることで,新人看護師は作業プロセスに指示・準備・実施の各段階があることを知り,インシデントの発生時に当該作業をプロセスに沿って振り返ることによって誤りがあった箇所が明確になることに気づけるのです。また,再発防止をするため,誤りのあったプロセスに着目して対策を考えることを学ぶこともできます。 このように,当院ではインシデントの発生を個人の力不足ととらえるのではなく,業務・仕組みの改善が必要であることを学ぶ機会ととらえています。POAMを用いた研修を毎年繰り返し行うことで,プロセス指向が定着するための積み上げとなっていると考えています。

事故分析手法の使い分け POAMは,作業現場で実際に作業に当たる人が自部署の業務改善を目的としてインシデントを分析することに適しています。しかし,多職種の業務に関連する事故の分析の場合は不向きです。当院ではこのような事故の分析にはRCAの方がよいと考え,POAMと使い分けています。

POAMの思考プロセスは RCA分析においても 背後要因の抽出に役立つ 事例に応じた分析手法の使い分けについて,POAMが多職種の業務に関連する事故の分析に不向きなことは前述したとおりです。しかし,日ごろのインシデント分析にPOAMを使用することで培われるプロセス指向は,RCA分析においても背後要因の抽出や各種手順書の作成,業務の可視化に役立つと感じています。

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インシデントレポート(電子化)の フォーマットの工夫 インシデントレポートのフォーマット自体を変更することによって,プロセス指向を身につけることができます。フォーマットの一部を資料に示します。 インシデントレポート(資料の事例は注射事故)の「経過」記入欄については,次の内容を記載します。〔実施すべき〕患者氏名,薬剤名,注射時間・速度,与薬時間

〔間違った〕患者氏名,薬剤名,注射時間・速度,与薬時間

 さらに,間違いのあった段階の記入欄に次の①~④について具体的に記入することにしています。①指示段階  ②準備段階③実施段階  ④実施後の管理・観察 資料の事例では,準備段階で間違いがあったことが分かるため,正しい準備をするための対策を検討します。この時,POAMの枠組みに記入すると,より分かりやすくなります。このように,POAMにおける与薬業務のモデル図を使用して情報・モノ・作業の各段階のどの部分に誤りがあったのか意識化することによって,的外れな対策にならない,

資料●電子化したインシデントレポートのフォーマット(一部)

各項目,予薬業務のプロセスに沿って記入する。どのプロセスにエラーが生じたのかが分かるように記入する。

無投薬など,患者や薬剤自体が間違っていない場合は,空欄でもよい。

無投薬の場合は,投与せず,と記入する。

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作業プロセスを意識した再発防止対策が導き出せると考えています。

インシデント報告システムと 医療安全推進室の役割 当院のインシデントは,年間3,000件ほどあり,先述したような電子システムで報告されています。当事者または発見者がシステムに必要事項を入力して報告し,部署・部門のリスクマネジャーである所属長が承認しています。そして,その後に医療安全管理者が最終確認をする流れとなっていますが,医療安全管理者は,報告者の記入の段階でも内容を見ることができます。また,インシデントが夜間に発生した場合は速やかに夜間の管理師長に報告され,夜間の管理師長はインシデントの概要を所定のメモに記録します。そして翌朝にインシデントが看護部へ報告されて医療安全管理者へ伝わる仕組みとなっているため,レポート入力による報告よりも速く,医療安全推進室が事故発生状況を把握できる時もあります。 当院では,インシデントレポートのトリアージを行っています。トリアージとは,災害や事故現場において,患者の重症度に基づいて治療の優先度を決定し,選別することです。インシデントレポートでのトリアージは,インシデントへの対応の優先順位を決め,解決する方向に振り分けます。トリアージに明確な基準や数値があるわけではなく,医療安全管理者と室長の話し合いによる合意形成により方向性を決めています。 重大性が高いととらえたインシデントは,毎朝の幹部職員ミーティングの場で医療安全管理者が報告し,組織的対応が必要と判断された場合は,医療事故対策会議の開催を決定します。また,医療を提供する仕組みに課題

があると思われたインシデントは,週1回の患者安全管理委員会(院内の医療安全に関する委員会)の場で解決方法を検討します。さらに,関係職種・関係委員会や院内チームによる検討の場を設定し,必要であればワーキンググループを立ち上げることもあります。ほかにも,発生頻度が高いインシデントは一覧を作成して傾向と要因を探っています。 患者相談室との情報共有や,看護師長会での共有事例または看護安全委員会で対策検討事例,部署内で解決できる課題については各所属長に解決を任せていますが,医療安全管理者も解決のための資料提供や対策立案の相談を受けるなどの支援を行います。 このようにして,医療安全推進室は,課題を解決するために適切と思われる院内機能に向けたトリアージを行います。加えて,院内機能の活用と課題解決に向けた調整・支援,進捗管理も行っているため,課題解決のためのリソースマネジメントをしているとも言えます。 POAMの導入を含めたインシデント報告システム全体について,事故報告件数の増減や,対策立案についてデータを基に議論することは困難です。現場においては,プロセスに着目して対策を導くようになった感覚はありますが,これらについても測定することはしていません。 また,インシデントトリアージの効果の測定もしていませんが,各機能における再発防止の立案・実施がスピーディに行われている現状から,早期解決のための院内機能の活用は適切に行われていると実感しています。 さらに,解決の方向性を決めて院内機能を活用して課題解決に向かうことで,医療安全推進室は,院内組織間における整合性の確認や組織全体の向かう方向性の管理に注力する

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ことができます。そして,組織としての対策の標準化を進めることができます。職員にとっても,課題解決に向き合う機会が増え,現場の解決力が高まります。このように,インシデントのトリアージは組織としての医療安全体制の強化につながっていると言えるのです。

 武蔵野赤十字病院では,組織全体で医療安全を推進するため,事故の収集から分析・対策立案までの流れを,どのようにスムーズに進めることができるかという観点で業務・仕組みの改善を進めていると言えるのではない

かと思います。目的は医療安全の確立にあるのですから,組織全体をどのような方向に進めていくか現場スタッフが簡易的に分析することで,プロセスに対する意識を高めてもらうための工夫としてPOAMを紹介しました。

くろかわ・みちよ●1989年日本赤十字武蔵野女子短期大学看護学科を卒業し,武蔵野赤十字病院に入職。1998年放送大学を卒業。2007年武蔵野赤十字病院看護師長。2008年医療安全管理者養成研修を修了。2009年武蔵野赤十字病院看護安全委員会委員長。2012年武蔵野赤十字病院医療安全推進センター医療安全推進室医療安全管理者。現在に至る。日本赤十字社医療安全対策部会委員。医療機能評価機構認定病院患者安全推進協議会検査・処置・手術安全部会部会員。医療の質・安全学会代議員。日本転倒予防学会評議員。

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