〔症例 Transabdominal preperitoneal...

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.緒  言 腹腔鏡下鼠径へルニア修復術は,従来の前方ア プローチに比べ術後疼痛や違和感が少なく,早 期の社会復帰が可能といった点で近年広く普及 している術式である[1]。特に,transabdominal preperitoneal approachTAPP)法によるヘル ニア修復術は腹腔内から両側鼠径部を観察するこ とで正確なヘルニア診断を可能とする。一方で, 腹腔内操作に伴う腸閉塞や他臓器損傷,腹腔内 出血などの合併症をきたす可能性もある。今回, 我々は TAPP 術後に大量腹腔内出血をきたした 症例を経験したので報告する。 .症  例 【患者】50歳男性。 【主訴】左鼠径部膨隆。 【既往歴】特記すべきことはない。 【現病歴】左鼠径部膨隆を主訴に当科を受診さ れた。左鼠径へルニアの診断で,TAPP 法による 鼠径へルニア修復術の方針となった。 千葉医学 942052092018 doi:10.20776/S03035476-94-6-P205 1) 小田原市立病院外科 2) 千葉大学大学院医学研究院臓器制御外科学 Yutaka Sato 1,2) , Kazuhiro Seike 1) , Hisashi Kametaka 1) , Hironobu Makino 1) , Tadaomi Fukada 1) , Takahiro Akiyama 1) , Nami Okada 1) and Youji Miyahara 1) . A left inguinal hernia case suffered postoperative massive intraabdominal bleeding after TAPP repair. 1) Department of Surgery, Odawara Municipal Hospital, Kanagawa 250-8558. 2) Department of General Surgery, Chiba University Graduate School of Medicine, Chiba 260-8677. Phone: 043-226-2009. Fax: 043-226-2005. E-mail: [email protected] Received June 6, 2018, Accepted September 25, 2018. 〔 症例 〕 Transabdominal preperitoneal approach 法による 鼠径へルニア修復術後に大量腹腔内出血を来した 1 佐 藤   豊 1,2) 清 家 和 裕 1) 亀 髙   尚 1) 牧 野 裕 庸 1) 深 田 忠 臣 1) 秋 山 貴 洋 1) 岡 田 菜 実 1) 宮 原 洋 司 1) 20186 6 日受付,20189 25日受理) 要  旨 症例は50歳の痩身男性で,左鼠径へルニアに対し手術方針となった。術前血液検査上,貧血や 血小板凝固系に異常を認めなかった。 3 ポート,気腹圧 8 Hg 下に,3D タイプメッシュを用いた transabdominal preperitoneal approach(以下,TAPP と略記)法によるヘルニア修復術を施行し た。術後は臍部痛が強く,非ステロイド性抗炎症薬を含め鎮痛薬を頻回に使用した。第 3 病日に高 度貧血をきたし腹部 CT を施行したところ,脾腫と大量腹腔内出血を認めたため,緊急開腹術を施 行した。ヘルニア修復部に出血所見は認められなかったが,脾門部より持続性の出血を認め,止血 を行った。術後は脾膿瘍を併発したが,保存的に軽快し退院した。TAPP は腹腔内操作を要するた め,術前腹腔内精査や術後採血を含めた全身管理に加え,術中の入念な腹腔内観察も重要と考えら れた。 Key words: TAPP,腹腔内出血,鏡視下手術

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Ⅰ.緒  言

 腹腔鏡下鼠径へルニア修復術は,従来の前方アプローチに比べ術後疼痛や違和感が少なく,早期の社会復帰が可能といった点で近年広く普及している術式である[1]。特に,transabdominal preperitoneal approach(TAPP)法によるヘルニア修復術は腹腔内から両側鼠径部を観察することで正確なヘルニア診断を可能とする。一方で,腹腔内操作に伴う腸閉塞や他臓器損傷,腹腔内出血などの合併症をきたす可能性もある。今回,

我々はTAPP術後に大量腹腔内出血をきたした症例を経験したので報告する。

Ⅱ.症  例

 【患者】50歳男性。 【主訴】左鼠径部膨隆。 【既往歴】特記すべきことはない。 【現病歴】左鼠径部膨隆を主訴に当科を受診された。左鼠径へルニアの診断で,TAPP法による鼠径へルニア修復術の方針となった。

千葉医学 94:205-209, 2018 doi:10.20776/S03035476-94-6-P205

1) 小田原市立病院外科2) 千葉大学大学院医学研究院臓器制御外科学Yutaka Sato1,2), Kazuhiro Seike1), Hisashi Kametaka1), Hironobu Makino1), Tadaomi Fukada1), Takahiro Akiyama1), Nami Okada1) and Youji Miyahara1). A left inguinal hernia case suffered postoperative massive intraabdominal bleeding after TAPP repair.1) Department of Surgery, Odawara Municipal Hospital, Kanagawa 250-8558.2) Department of General Surgery, Chiba University Graduate School of Medicine, Chiba 260-8677.Phone: 043-226-2009. Fax: 043-226-2005. E-mail: [email protected] June 6, 2018, Accepted September 25, 2018.

〔症例〕  Transabdominal preperitoneal approach法による  鼠径へルニア修復術後に大量腹腔内出血を来した 1例

佐 藤   豊1,2)  清 家 和 裕1)  亀 髙   尚1)  牧 野 裕 庸1)

深 田 忠 臣1)   秋 山 貴 洋1)  岡 田 菜 実1)  宮 原 洋 司1)

(2018年 6月 6日受付,2018年 9月25日受理)

要  旨

 症例は50歳の痩身男性で,左鼠径へルニアに対し手術方針となった。術前血液検査上,貧血や血小板凝固系に異常を認めなかった。 3ポート,気腹圧 8㎜Hg下に,3Dタイプメッシュを用いたtransabdominal preperitoneal approach(以下,TAPPと略記)法によるヘルニア修復術を施行した。術後は臍部痛が強く,非ステロイド性抗炎症薬を含め鎮痛薬を頻回に使用した。第 3病日に高度貧血をきたし腹部CTを施行したところ,脾腫と大量腹腔内出血を認めたため,緊急開腹術を施行した。ヘルニア修復部に出血所見は認められなかったが,脾門部より持続性の出血を認め,止血を行った。術後は脾膿瘍を併発したが,保存的に軽快し退院した。TAPPは腹腔内操作を要するため,術前腹腔内精査や術後採血を含めた全身管理に加え,術中の入念な腹腔内観察も重要と考えられた。

 Key words: TAPP,腹腔内出血,鏡視下手術

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206 佐 藤   豊・他

 【入院時所見】身長168㎝,体重58㎏,Body mass index 20.5とやや痩せ型であった。立位にて左鼠径部に還納可能な膨隆を認めた。腹部に特記すべき所見なし。 【入院時血液検査所見】貧血なく,肝機能や血小板凝固系に異常所見は認められなかった。 【手術所見】全身麻酔下に,臍部12㎜,両側腹部 5㎜の 3ポートで気腹圧 8㎜Hgにて腹腔内操作を開始した。左内鼠径へルニア(日本ヘルニア分類Ⅱ - 1型)と診断し,腹膜前腔にバード 3D Max ライト(7.9㎝×13.4㎝,メディコン社)を挿入し,アブソーバタック(コヴィディエン社)で計 8ヶ所固定した。修復部の止血確認ののち,3 - 0吸収糸の連続縫合にて腹膜閉鎖を行った。手術時間は 1時間26分,出血量は少量であった。術中体位は軽度の頭側右側低位とし,術中操作でカメラや鉗子を上腹部に向けることはなかった。また,血圧低下などの術中トラブルもなかった。 【術後経過】術後は臍部の疼痛が強く,術後 2日間で鎮痛薬としてロキソプロフェン60㎎ 6錠内服に加え,フルルビプロフェンアキセチル計350㎎,ペンタゾシン計75㎎を使用した。第 2病日夕方に38.2℃の発熱をきたし,喫煙歴より肺炎の併発を疑い抗生剤治療を開始した。第 3病日の血液検査にてHb 5.6g/dLと高度貧血を認め,腹部造影CTを施行したところ大量の腹水貯留を認めた(図 1)。腹腔穿刺にて血性腹水を確認し,腹腔内出血の診断にて緊急開腹術を施行した。造影CT上,ヘルニア修復部周囲の血腫形成や造影剤の明らかな血管外漏出等の所見は認められず,出血源の予測が困難であったため,上腹部から下腹部にいたる広範囲の正中切開にて開腹した。開腹すると,腹腔内に大量の血液貯留を認めたが,ヘルニア修復部に明らかな出血所見は認められなかった。腹部CTにて脾腫が疑われていたため,脾臓を検索すると,脾門部に持続性の湧出性出血を同定し,出血源と考え止血処置を行った(図 2)。出血量は血性腹水含め2,660㎖で,赤血球濃厚液 3単位を輸血した。術後も赤血球濃厚液8単位,新鮮凍結血漿 4単位を輸血し,Clavien-Dindo grade Iの脾膿瘍を併発したが保存的に軽快し,第15病日に退院した。

Ⅲ.考  察

 腹腔鏡下鼠径へルニア修復術は,従来の前方アプローチに比べ術後疼痛や違和感が少なく,早期の社会復帰が可能といった点で近年広く普及している術式である[1]。特にTAPP法は,腹腔内から両側鼠径部を観察することで正確なヘルニア診断が可能となり,鼠径床の解剖学的理解や腹腔鏡下手術手技獲得のうえでも非常に有用な術式である[2]。一方で,手術時間の延長や手技獲得のため一定の修練と経験を要し[3],さらに腸閉塞や他臓器損傷,腹腔内出血などの腹腔鏡下手術特有の合併症が危惧される。従来の前方アプローチと腹腔鏡下鼠径ヘルニア修復術の周術期合併症を比較したメタアナリシス[1]では,前方アプローチに比べTAPP法において有意に周術期

図 1 TAPP術後の腹部造影CT 大量の腹水貯留と脾腫を認めた。

図 2 術中写真 脾門部に持続性の湧出性出血を同定し,出血源と考え止血処置を行った。

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207TAPP術後に大量腹腔内出血を来した 1例

合併症率が高かった(relative risk=1.47,95% confidence interval=1.18-1.84,P<0.001)と報告されている。ただ,Köckerlingら[4]はTAPP法による初回片側鼠径へルニア修復術10,887例の検討で,術後合併症の多くは漿液腫形成(333例,3.06%)が占めるとし,術後出血性合併症は89例(0.82%)と報告している。そのため,自験例のような大量腹腔内出血例はさらに稀と考えられる。医学中央雑誌(1970年~2018年)で「TAPP」および「合併症」もしくは「腹腔内出血」を,PubMed(1950年~2018年)で「TAPP」および「complication」をキーワードに検索し得た限りでは,TAPP術後に再手術を要した大量腹腔内出血の報告例は認められなかった。 TAPP術後の出血性合併症の側面として,鼠径へルニア修復術に関連したものと腹腔鏡下手術に関連したものの 2つがある。鼠径ヘルニア修復術に関連した重篤な術後出血性合併症として,楠部ら[5]はKugel法施行後にメッシュのmigrationにより閉鎖動脈恥骨枝(死冠,corona mortis)の損傷から動脈性出血をきたした症例を報告している。また,黄ら[6]は前方アプローチ施行後に子宮円靭帯断裂による腹腔内出血例を報告しており,鼠径部子宮内膜症を伴った鼠径ヘルニア手術時には子宮円靭帯のテーピング牽引操作を愛護的に行う必要があると考察している。自験例の場合,術中の腹膜前腔剥離やメッシュ留置,腹膜閉鎖はいずれも愛護的操作を心がけ行っており,大量腹腔内出血のため再手術を行った際もヘルニア修復部に出血源は認められなかった。 一方,腹腔鏡下手術に関連した術後出血性合併症として,田村ら[7]の検討では腹腔鏡下手術587例中 8例(1.4%)が術後早期合併症のため再開腹術を要し,うち腹腔内出血は 1例で,胆嚢摘出術後の胆嚢動脈断端が出血源であったと報告している。また,トロッカー挿入時の総腸骨動脈損傷[8]や腹壁血管損傷[9]に伴う出血にも留意する必要がある。特に腹腔内操作中は,わずかな静脈性出血は気腹圧の影響で自然止血あるいは容易に止血可能な場合が多く,湧出性出血が多い症例では腹腔内操作終了後に一度気腹を解除し,平圧下での慎重な止血確認を行うことが望ましい[10]と考えられる。加えて,腹腔鏡下手術では視野が狭く画

面外での鉗子操作により他臓器損傷をきたす可能性があり,基本的に鉗子の出し入れはカメラでの視認のもと行うべきである。自験例では術中操作でカメラや鉗子を上腹部に向けることはなかったが,腹腔内操作終了時に腹腔内全体の観察を行わなかったことが反省点であったと考える。 通常,良好な視野確保と腸管損傷を回避するため,また術者の手術操作性を向上するため,TAPP法においては術中にやや頭低位骨盤高位で患側を軽度挙上させることが多い。TAPP法や大腸癌の腹腔鏡下手術の際には,気腹による腹腔内圧上昇と頭低位骨盤高位の術中体位によって横隔膜が挙上され機能的残気量が減少するといった呼吸機能への影響が懸念される[11]が,循環動態への影響は比較的少ないとされる[11,12]。一方,東[13]は,筋弛緩状態の仰臥位において,高齢者では筋組織の密度が疎になり腹筋が低下するため,腹腔内臓器は側方に移動しやすく,成人では腹部周囲の筋力が強いため臓器の側方への移動が抑えられ,腹腔内臓器は頭側へ移動し横隔膜を圧排すると推察している。また,Thomson[14]は非外傷性脾破裂の機序として,脾腫のため過伸展されている被膜に対する横隔膜や腸管運動による機械的刺激の影響を指摘している。以上から,自験例において大量腹腔内出血をきたした原因のひとつとして,痩せ型で内臓脂肪の少ないことから術中体位の影響で脾腫の重力により脾門部血管の損傷をきたし腹腔内出血に至ったという可能性も,推察の域を出ないが否定し得ないと考える。 なお,自験例の脾腫に関しては初回手術後の腹部CTにて初めて指摘し得たものである。一般に,脾腫をきたす病態としては,肝硬変に伴う門脈圧亢進症に関連したもののほか,悪性リンパ腫や急性骨髄性白血病などの造血器疾患,伝染性単核球症などのウイルス感染症,悪性腫瘍の脾臓転移などが挙げられる。特に,造血器疾患や固形悪性腫瘍においては播種性血管内凝固症候群をはじめとした血小板凝固異常による出血傾向を併発する可能性もあり,脾腫や血液凝固異常を伴った非外傷性脾破裂による腹腔内出血の報告例も散見される[15-17]。また,出血素因については,血管結合織,血小板,凝固線溶因子の先天的・後天的異常をその病態とするが,日常診療において遭遇

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208 佐 藤   豊・他

 今後さらにTAPP法を含めた腹腔鏡下鼠径へルニア修復術が増加していくものと思われるが,腹腔鏡下手術の利点を生かしつつ,いかに合併症を少なく安全で確実な手術手技,周術期管理を確立していくかが課題となる。TAPP法は腹腔内操作を要する術式であるため,術中の入念な腹腔内観察に加え,術前腹腔内精査や術後採血を含めた全身管理も重要と考えられた。 (本論文の要旨は第70回日本消化器外科学会総会において発表した。)

著者の貢献内容

 この症例に関して,全著者は診療に従事し,報告の執筆に貢献した。

利益相反

 著者らは,この論文の内容について財務的および非財務的な利益相反を有しないことを表明する。

Abstract

A 50-year-old man visited our hospital because of a painless bulging of the left groin, which was reducible and apparent in the standing position. With a diagnosis of inguinal hernia, we underwent transabdominal preperitoneal inguinal hernia repair (TAPP). After surgery, he experienced persistent pain and developing of anemia. Abdominal contrast-enhanced computed tomography revealed massive bloody ascites in the whole abdominal cavity and moderate splenomegaly. Therefore, emergent laparotomy was performed at 3rd postoperative day. The bleeding point was not found in the repaired site of hernia but in the splenic hilum. The bleeding was stopped using an electric device. His second postoperative course was almost uneventful. TAPP repair is associated with a small risk of life-threatening complications, such as intra-abdominal injuries. It is appropriate to pay attention to the whole abdominal cavity during the operation, and also to have a preoperative screening CT and postoperative blood biochemistry.

文  献

1) O’Reilly EA, Burke JP, O’Connell PR. (2012) A meta-analysis of surgical morbidity and recurrence after laparoscopic and open repair of

する機会は比較的少ないものと思われる。自験例では,病歴や家族歴に出血素因を示唆するものはなく,術前血液検査上も血小板凝固系に異常所見を認めず,また初回手術後の腹腔内出血時に施行した腹部CT上も脾腫以外に肝を含めた腹腔内臓器に粗大な異常所見は認められなかった。しかしながら,脾腫や出血素因の存在が疑われた場合,末梢血塗抹標本による血球形態観察や,先天性凝固因子欠乏症,血小板機能異常症などを念頭としたスクリーニング検査[18]も検討されるべきであり,自験例の反省点と考えられた。 また,仮に術前より脾腫を認知できた場合,上述したような肝・造血器疾患の有無や,トロッカー挿入の際に支障となるような側副血行路の有無等を予め検討し得る。そのため,周術期偶発症リスクを低減するためにも,腹腔内操作を伴う術式を計画する場合,術前腹腔内スクリーニングCTを施行することは妥当であると考え,以来反省を込めTAPP法術前には全例で腹部CTを撮影する方針としている。 さらに,自験例においては,非ステロイド性抗炎症薬(non-steroidal anti-inflammatory drugs; 以下,NSAIDsと略記)を含めた術後頻回の鎮痛薬投与が出血素因となった可能性も考えられる。従来型NSAIDsはアラキドン酸カスケードにおいてシクロオキシゲナーゼ(cyclooxygenase: 以下,COXと略記)のうちCOX-1とCOX-2の両者を非選択的に阻害することから,COX-1の生理的作用である血小板凝集作用を同時に抑制し,出血傾向をきたす可能性が指摘されている[19]。乳腺や鏡視下鼠径へルニア手術を含む軟部組織領域の形成外科手術を対象としたランダム化比較試験 4編のメタアナリシス[20]では,鎮痛薬としてのイブプロフェンは術後出血リスクを増大させなかった。一方で,Köckerlingら[21]は前方アプローチおよび腹腔鏡下鼠径ヘルニア修復術82,911例の検討で,抗凝固療法中もしくは凝固異常を有する症例は術後出血リスクが約 4倍増加すると報告している。NSAIDs投与が術後出血のリスクを増大させるかどうかについていまだ明確なエビデンスはないが[22],術後の炎症緩解や鎮痛に対してNSAIDsを投与する場合は,COX-2選択性の高いNSAIDsが望ましいと考えられた。

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209TAPP術後に大量腹腔内出血を来した 1例

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