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F-W脚夙7肥.}闘ビ1肘四 .句炉- 昭和36年9月5日発行 騨卿卿顧騨騨圃騨剛嗣嗣騨一「コ野∵.’1’「‘ .ヴ ∴1 (1) (第119号) 東ジ 郷・ 報’ .. ロロ 川lllllllllll田llm三田Ml田1川llllmlll旧llllll田mll闘il甜lllll川ll川川lllllli糊lllll田lillllllllllml田lli川lllllHlllll 牧水祭記念号 牧水祭に当りて 牧水顕彰会長 九月十七日は、牧水…水」の研究が深めら発刊されています。 先生の第三十三周忌一れまして、さきに先.歌碑も北は北海道か に当ります。本年も生の愛弟子歌人、大.ら、南は鹿児島にい 「牧水祭」をいたし悟法利雄氏の著「若たる全国各地に建て まして先生の遺業を…山牧水」をはじめと…られまして、その数 讃えることといたし…して、宮崎大学の長一三十に垂んとしてい ました。牧水先生の…嶺教授著「若山牧水」 ます。 作晶が我が国文学史…横田正知氏著の「日‘かく偉大なる歌人を 上に燦然と輝いてい一本文学アルバム、若一生んだことによって ますことは今更申す…山牧水」更に惹く最…本村は今や国文学上… までもなく、また日近は文学博士、 日大{有名な地となったの 本人の日々の生活に「教授、森脇一夫著の…であります。 このこ 偉大なうるおいを与一「近代短歌、人と作…とは同郷の者にとつ えていますことも言…品、 若山牧水」 な.ては得がたいほこり を侯たないところで「ど、人間若山牧水と…でありますとともに 勧勒欝ダ若山舞著書が・相つ 一その作品に対する研…責務の重大さを痛感 いで一させられるのであり 次の「山桜と富士」 学校の国語の教科書 る牧水の作品である一 O山桜と富士 …天城山が火山であったとい }うことは、きわめて当然な 一ような話で、しかも、わた 一くしは、それを知らなかつ 」た。そ0噴火口の跡が山上 ⦆って、小さな池となり. 一付近に青篠の茂っていると 皿ころから青駒の池ともいい 一周目が八町あるところがら 一まず。 一本村が牧. しし U …てに一,イ 一たのでありま・’.h、 {その間何等なすこと …なく今.日に及んでい ますことは噺惚に堪 …えません。 一今後・本会に与えら …れた課題は、生家を .はじの、遺墨、遣晶 「等作品を長く保存し 「で、わが文化の向上 に資することにある と確信いたしていま す。このことは単に …本会にのみ課せられ た事業ではなく、全 村民に課せられた名 .誉ある事業であると 思うのであります。 希.くば村民各位の文 皿化向上に対する情熱 一を燃やしでいただき 一まして、本村として は最高の文化事業達 }成 フために絶対の御 一協力御支援を祈念し てやみません。 一本日牧水祭を挙行す るに当りまして所懐 の一端を述べまして 御挨拶といたしま 一す. く、じゅうぶ んで、そして、お りかかようという趣 乙女峠から見 った。愛鷹の頂に .て見た富士もよか それが、この花を、少栖 らず露けくし輝かにし、 られて、そこへ登ることに…高みカら、あちこ なった。 とい @ @ @ @ @ oてくる・とにな・ので堕は・か 八丁池とも呼ぶという話は そう ことに、わたくしの興味を.る。 そそった。あを日、案内せ一ぐもいいが、 登り三里の山路というので一静かで美しい。 病後で弱っているからだに… は、少し気にもな.つたが、﹇ 久しぶりにはきしめたわら一 じの気持は非常によかった一 四月十二日、天気もまた珍一 しいひよりであった。 盛っているのを見渡すのも 一つ一つと 飛び飛びに咲いているのが 一しい 「海が見えだしました。」 案内のひとりが言った。 「静浦の海ですね。そおれ …沼津の千本松原も見えま 「と、もうひとりが言う。 一はあまりに近く、慣れすぎ ボ感がないではない・燐 冨、浅間山ではあまりに遠… 二首ともわた 九歳のころの作で 直に幼いが、こども 纏聯麓いう蒲馳 はらはらと散って来る山桜千 め花陰に立って、なんとも一う城 知れぬ寂しさに襲われなが…ので、 ら、仰ぐともなく空を仰ぐ…る夕暮れ あたかもそこに太陽が旧い「なった。一心 ていたというのである。あτとを思うている .との一首。これは、わたくろにその母の住む郷 しの郷里に近い美々津での…のけしきが目に浮かん 作で、山陰の小さな港町の…のであったろう。 いかにもこの花に似つかわ…くて、ただ思いがけなく望一 …み見た心おどりが先だつた… ものとも言いうる。そうい「 なにしろ目につく山桜の花 す。 鳶におい双富士を墨 である。温泉宿の付近は、 もうそのころは、おおかた…いつわいたともないかすみ…ずと思いいでられたの 轍蘇斡砂誰蝉馨盤ド疑切松原を っ梶 であった。そして、眼界の 「おお、富士。」 広まるにつれて、あちらのわたくしは、思わず手を上 野聾組総C甥馨こから続いて帆るの 出たように咲き盛った一本.が箱根の連山、その次が愛 二本の花の樹木が、まった鷹山、それらの手前に、青 く数限りなく見渡された。、出した平野が田方郡の平野 東京のあたりに多い吉野桜.中にうねうねと輝いている などは、まず遠く望むとき.のが狩野川、それらを囲む にはいいが、近づいて見る.ようにして、低くごたごた と、いかにもこてこてと、「散らばっているのが城山・ 花びらばかりが枝先に固ま 徳倉山・寝釈迦山その他、 つていて、ともすれば気品左に寄って高く連なってい. に乏しい恨みをいだべ。」 仰ぐに、同じ山地からする… 「に ヘ、この天城などが、最「 …島袈蒜濃蠣鎚 …ちょうどまた、その日は、㎝ ほどよいかすみが、ふもと一 …の平野をこめていた。箱根一 憂鷹の峰も、それに浮かん… まったくそのみずぎわ .だった美しい大きな傾斜を .東西ともに、深いかすみの .申に起こして、やがて大空. の高みに、悲しく鋭く、そ 牧水の歌とその鑑賞 一文学博士、森脇一夫著「若山牧水」 の中にその代表作が次のように鑑賞さ れています一 幾山河■えさり行かば寂 しさのはてなむ国ぞ今日 も旅ゆく 幾つかの山河を越え越えし でいる形であったが、富士…て移り行くならば、そのか キ㎝、 なたには、きっと寂しさが 尽き果ててしまうだろう国 があるにちがいない。 そうしたあこがれの心をい 一だいて、今日も旅をつづけ の頂を置いているのである{るのである。牧水の代表作 ふもとの野山のかすみけむ として多くの人に愛請され ‘つているだけに、雪に輝く「 申腹以上の美しさは、いよ. 口一るのが真城・達磨の枯れ草いよ孤独に、いよいよこう 桜は、近寄って見たところ「山であり、海の向こうに、 ごうしいものとなっている もまことによい。その薄紅.ずうつと雪を輝かしている…のである。その背景には・ 色のみずみずしい若葉が、 のが、赤石山脈の連峰であさらに深いかすみのおちに さながら、その花びらを守ると、それぞれに教えられ赤石連山が白たえの峰を連 るように、きおいたってもながら、わたくしは、しばね、前景ともいうべき一帯 えている。その中に、ただらくは、富士の頂から目をには、愛鷹・箱根の山の散. まつ白く、ただ清らかな花離すことができなかった。 らばりから裾野の端を包む が、つつましやかに咲いてなんという高さに、・その峰に海があり、そこのなぎさ いるのだ。雨によく、晴れは照り輝いていたことであには、静浦の浜に起こり千 によい。ことに、わたくしろう。、たとえ、それを背後鳴浜を経て、遠く富士川の の好きなのは、うららかな にして登って来たとは言え河口田子の浦に及ぶ松原が 日ざしのもとに、この大木すでに、幾度かふり仰いであり、少し離れては、三保. の陰に立って、その花を仰いねばならなかったこの峰の松原が、さながら天の橋」 いだときである。わたくしに、今まで気づかずにいた立の形に浮かんでいる。し は、よく「咲きこもる」 のは、まったくそれが、思かし、そういうものをいつ 「咲きしずもる」というこ いがけぬ高い中空にそびえ こうに内に入れずに、富士 とばを使うが、それは、晴ていたからである。毎日毎の山だけ、はるかに青い己 れた日に見るこの花の感じ 日見慣れているこの山であ にそびえて、美しく寂しく が、、まったくそれである。 りながら、まったく異なつ仰がれるのであった。 鰭切叢む雛叢鉾娯鵠塊燃緬璽。桜の歌 さを心ゆくまでに含み宿しした場合に、よく思い出す なにとなき寂しさ覚え山 て、そして、その光、その ことばの「高山に登り仰が一ざくら花ちるかげに目を においを自分のものとしてずば、高山の高きを知ら 仰ぎ見る 咲き放っているのである。 ず」という意味が、こと新 行きつくせば浪青やかに いたずらに日光に照り返すしく心にわいてくるのであ ・うねりゐぬ山ざくらなど ようなかわいたところがな つた。その意味において、 咲きそめし町 た歌である、牧水の初期に は、そこばくの浪漫的なし らべがまつわっているが、 かような感傷の情緒は、長 く読者の心をとらえて放さ .なかった。 ﹇この歌のよまれた前々年、 .明治三十八年十月には、上 田敏の詩訳集「海潮音」.が 世に出た。牧水は、これを .三諦し、明治四十三年十月 一日発行の「創作」短歌号 の「裾野より」と題する文 学のなかで「山のあなたの そら遠く」というカール・ ブツセの詩をあげ、 「矢っ .張り我等はお墓に入るまで この歌の愛三家であらねば ならぬかも知れない」と述 べている。おそらくブツセ の詩の影響があるであろう 日向への帰省の途次、瀬戸 内海の各地に遊んだときの 一首である。 二一の歯にしみとほる秋 の夜の酒はしっかに飲む べかりけり 牧水が酒を愛したことは、 よく知られている。かれは 生涯のうち三百首にあまる 酒の歌をよんだが。それら のうちで、これはもっとも よく知られた歌である。 「白玉の」の比喩がまず清 新である。秋の静かな夜に ひとり杯を傾けるとき、そ れはまつ白な歯にしみとお るように感ずる。こうした 夜の酒には相手がないほう がよい。ひとり静かに味わ うことこそ酒の醍醐味とい うものである。これは「か たはらに」の歌と同じく、 信州浅間山麓で作られた歌 である。 このころまでに侮られた歌 に「杯を口にふくめば千す ぢみな髪も匂ふか身はかろ らかに」 「とうとうと現珀 の清水津の国の銘酒白鶴川 あふれ出づ」 「あな寂し酒 のしっくを火におとせこの 夕暮の部屋匂はせむ」など がある。 「酒の讃と苦笑」 という随筆のなかで「酒の うまみは単に味覚を与へる だけでなく、直ちに心の栄 養となってゆく。乾いてみ た心はうるほひ、弱ってみ た心は蘇り、散らばってみ た心は次第に纏って来る適 私は独りして飲むことを愛 する」と述べている。 註「かたはらに」の歌は かたはらに秋ぐさの花か たるらくほろびしものは なつかしきかな ふるさとの尾鈴の山のか なしさよ秋もかすみのた なびきて量り 尾鈴山は宮崎県の東旧杵郡 乏児湯郡との境にそびえる 塩【二代国幽駐ρら虻解蜜,, b, ’至・ウ㌧卜塩贈誰ぱ ド内臥.宏層fTv.ひ,伊・ ,詫5・島鷺帥ず“膨牽蒔♪國も 仁ご三物一.噂マ:F.ん庸献壷覧

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F-W脚夙7肥.}闘ビ1肘四 「ヨ嘱i…一

.句炉-,  .’4竿・蜘浬鴨・

昭和36年9月5日発行

騨卿卿顧騨騨圃騨剛嗣嗣騨一「コ野∵.’1’「‘ .ヴ ∴1”  (1)   (第119号)      東ジ 郷・ 村  報’ ..

口ロロ

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牧水祭記念号

牧水祭に当りて

牧水顕彰会長 黒

生先牧山若美

九月十七日は、牧水…水」の研究が深めら発刊されています。

先生の第三十三周忌一れまして、さきに先.歌碑も北は北海道か

に当ります。本年も生の愛弟子歌人、大.ら、南は鹿児島にい

「牧水祭」をいたし悟法利雄氏の著「若たる全国各地に建て

まして先生の遺業を…山牧水」をはじめと…られまして、その数

讃えることといたし…して、宮崎大学の長一三十に垂んとしてい

ました。牧水先生の…嶺教授著「若山牧水」 ます。

作晶が我が国文学史…横田正知氏著の「日‘かく偉大なる歌人を

上に燦然と輝いてい一本文学アルバム、若一生んだことによって

ますことは今更申す…山牧水」更に惹く最…本村は今や国文学上…

までもなく、また日近は文学博士、

日大{有名な地となったの

㎜ 本人の日々の生活に「教授、森脇一夫著の…であります。

                                このこ

偉大なうるおいを与一「近代短歌、人と作…とは同郷の者にとつ

えていますことも言…品、 若山牧水」 な.ては得がたいほこり

を侯たないところで「ど、人間若山牧水と…でありますとともに

勧勒欝ダ若山舞著書が・相つ

一その作品に対する研…責務の重大さを痛感

         いで一させられるのであり

次の「山桜と富士」 「桜の歌」は中

学校の国語の教科書にのせられてい

る牧水の作品である一

O山桜と富士

…天城山が火山であったとい

}うことは、きわめて当然な

一ような話で、しかも、わた

一くしは、それを知らなかつ

」た。そ0噴火口の跡が山上

 に

⦆って、小さな池となり.

一付近に青篠の茂っていると

皿ころから青駒の池ともいい

一周目が八町あるところがら

一まず。

一本村が牧.

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…てに一,イ    』

一たのでありま・’.h、

{その間何等なすこと

…なく今.日に及んでい

 ますことは噺惚に堪

…えません。

一今後・本会に与えら

…れた課題は、生家を

.はじの、遺墨、遣晶

「等作品を長く保存し

「で、わが文化の向上

に資することにある

と確信いたしていま

す。このことは単に

…本会にのみ課せられ

た事業ではなく、全

村民に課せられた名

.誉ある事業であると

思うのであります。

希.くば村民各位の文

皿化向上に対する情熱

 

一を燃やしでいただき

一まして、本村として

 

 は最高の文化事業達

}成

フために絶対の御

一協力御支援を祈念し

てやみません。

一本日牧水祭を挙行す

るに当りまして所懐

の一端を述べまして

御挨拶といたしま

一す.

          へ

く、じゅうぶんにくふ温

んで、そして、おのずと光

りかかようという趣がある

乙女峠から見た富士もよか

った。愛鷹の頂にはい登つ

.て見た富士もよかった。ま

それが、この花を、少栖か…た、遠く信州の浅間、飛騨

らず露けくし輝かにし、 焼岳の頂上に立って、足も…

られて、そこへ登ることに…高みカら、あちこちに咲き…ともあった。・が乙女、愛鷹

           [

なった。

            「咲きこもり咲きしずもる」

                        とにわき上がる噴煙に心を

                        取られながらも、はしなく

            ということばが、おのずと

  

@ 

@ 

@ 

@ 

@ 

oてくる・とにな・ので堕は・かな雲の波の上援き

八丁池とも呼ぶという話は

              そうして、近くから仰いでている富士を見いでて

ことに、わたくしの興味を.る。

そそった。あを日、案内せ一ぐもいいが、かくまた山の・拝みたい思いに打たれたこ

              〉

登り三里の山路というので一静かで美しい。

病後で弱っているからだに…

は、少し気にもな.つたが、[

久しぶりにはきしめたわら一

じの気持は非常によかった一

四月十二日、天気もまた珍一

しいひよりであった。  ㎝

盛っているのを見渡すのも

       一つ一つと

飛び飛びに咲いているのが

一しい

 「海が見えだしました。」

 案内のひとりが言った。

 「静浦の海ですね。そおれ

…沼津の千本松原も見えま

一 」

「と、もうひとりが言う。

一はあまりに近く、慣れすぎ

ボ感がないではない・燐

冨、浅間山ではあまりに遠…

二首ともわたくしのト八、’思恋しかかるゆふべのふ

九歳のころの作である。正..るさとの桜咲くらん山の

直に幼いが、こどものかい すがたよ

纏聯麓いう蒲馳嚢管凝認飾縄辮

はらはらと散って来る山桜千里余りを離れた延岡とい

め花陰に立って、なんとも一う城下町の巾学に出ていた

知れぬ寂しさに襲われなが…ので、どうした機会でかあ

ら、仰ぐともなく空を仰ぐ…る夕暮れ、急に母が恋しく

あたかもそこに太陽が旧い「なった。一心になって母の

ていたというのである。あτとを思うていると、そそ

.との一首。これは、わたくろにその母の住む郷里の山

しの郷里に近い美々津での…のけしきが目に浮かんでた

作で、山陰の小さな港町の…のであったろう。

いかにもこの花に似つかわ…くて、ただ思いがけなく望一春をよんだものである。

  。    …み見た心おどりが先だつた…

            ものとも言いうる。そうい「

なにしろ目につく山桜の花 す。

鳶におい双富士を墨

である。温泉宿の付近は、

もうそのころは、おおかた…いつわいたともないかすみ…ずと思いいでられたのであ

轍蘇斡砂誰蝉馨盤ド疑切松原を っ梶

であった。そして、眼界の 「おお、富士。」

広まるにつれて、あちらのわたくしは、思わず手を上

野聾組総C甥馨こから続いて帆るの

出たように咲き盛った一本.が箱根の連山、その次が愛

二本の花の樹木が、まった鷹山、それらの手前に、青

く数限りなく見渡された。、出した平野が田方郡の平野

東京のあたりに多い吉野桜.中にうねうねと輝いている

などは、まず遠く望むとき.のが狩野川、それらを囲む

にはいいが、近づいて見る.ようにして、低くごたごた

と、いかにもこてこてと、「散らばっているのが城山・

花びらばかりが枝先に固ま 徳倉山・寝釈迦山その他、

つていて、ともすれば気品左に寄って高く連なってい.

に乏しい恨みをいだべ。」

仰ぐに、同じ山地からする…

㎜「に

ヘ、この天城などが、最「

…島袈蒜濃蠣鎚

一        ㎝

…ちょうどまた、その日は、㎝

一                 「

ほどよいかすみが、ふもと一

            一

…の平野をこめていた。箱根一

憂鷹の峰も、それに浮かん…

一 まったくそのみずぎわ

.だった美しい大きな傾斜を

.東西ともに、深いかすみの

.申に起こして、やがて大空.

の高みに、悲しく鋭く、そ

牧水の歌とその鑑賞

一文学博士、森脇一夫著「若山牧水」

の中にその代表作が次のように鑑賞さ

れています一

幾山河■えさり行かば寂

しさのはてなむ国ぞ今日

も旅ゆく

            幾つかの山河を越え越えし

でいる形であったが、富士…て移り行くならば、そのか

キ㎝、

なたには、きっと寂しさが

尽き果ててしまうだろう国

があるにちがいない。

そうしたあこがれの心をい

一だいて、今日も旅をつづけ

の頂を置いているのである{るのである。牧水の代表作

ふもとの野山のかすみけむ として多くの人に愛請され

                        ‘つているだけに、雪に輝く「

                        申腹以上の美しさは、いよ.

          口一るのが真城・達磨の枯れ草いよ孤独に、いよいよこう

桜は、近寄って見たところ「山であり、海の向こうに、 ごうしいものとなっている

もまことによい。その薄紅.ずうつと雪を輝かしている…のである。その背景には・

色のみずみずしい若葉が、 のが、赤石山脈の連峰であさらに深いかすみのおちに

さながら、その花びらを守ると、それぞれに教えられ赤石連山が白たえの峰を連

るように、きおいたってもながら、わたくしは、しばね、前景ともいうべき一帯

えている。その中に、ただらくは、富士の頂から目をには、愛鷹・箱根の山の散.

まつ白く、ただ清らかな花離すことができなかった。 らばりから裾野の端を包む

が、つつましやかに咲いてなんという高さに、・その峰に海があり、そこのなぎさ

いるのだ。雨によく、晴れは照り輝いていたことであには、静浦の浜に起こり千

によい。ことに、わたくしろう。、たとえ、それを背後鳴浜を経て、遠く富士川の

の好きなのは、うららかな にして登って来たとは言え河口田子の浦に及ぶ松原が

日ざしのもとに、この大木すでに、幾度かふり仰いであり、少し離れては、三保.

の陰に立って、その花を仰いねばならなかったこの峰の松原が、さながら天の橋」

いだときである。わたくしに、今まで気づかずにいた立の形に浮かんでいる。し

は、よく「咲きこもる」 のは、まったくそれが、思かし、そういうものをいつ

「咲きしずもる」というこ いがけぬ高い中空にそびえ こうに内に入れずに、富士

とばを使うが、それは、晴ていたからである。毎日毎の山だけ、はるかに青い己

れた日に見るこの花の感じ 日見慣れているこの山であ にそびえて、美しく寂しく

が、、まったくそれである。 りながら、まったく異なつ仰がれるのであった。

鰭切叢む雛叢鉾娯鵠塊燃緬璽。桜の歌

さを心ゆくまでに含み宿しした場合に、よく思い出す  なにとなき寂しさ覚え山

て、そして、その光、その ことばの「高山に登り仰が一ざくら花ちるかげに目を

においを自分のものとしてずば、高山の高きを知ら  仰ぎ見る

咲き放っているのである。 ず」という意味が、こと新  行きつくせば浪青やかに

いたずらに日光に照り返すしく心にわいてくるのであ ・うねりゐぬ山ざくらなど

ようなかわいたところがな つた。その意味において、  咲きそめし町  魯

                                 肩

た歌である、牧水の初期に

は、そこばくの浪漫的なし

らべがまつわっているが、

かような感傷の情緒は、長

く読者の心をとらえて放さ

.なかった。

[この歌のよまれた前々年、

.明治三十八年十月には、上

田敏の詩訳集「海潮音」.が

世に出た。牧水は、これを

.三諦し、明治四十三年十月

一日発行の「創作」短歌号

の「裾野より」と題する文

学のなかで「山のあなたの

そら遠く」というカール・

ブツセの詩をあげ、 「矢っ

.張り我等はお墓に入るまで

この歌の愛三家であらねば

ならぬかも知れない」と述

べている。おそらくブツセ

の詩の影響があるであろう

日向への帰省の途次、瀬戸

内海の各地に遊んだときの

一首である。

 二一の歯にしみとほる秋

 の夜の酒はしっかに飲む

 べかりけり

牧水が酒を愛したことは、

よく知られている。かれは

生涯のうち三百首にあまる

酒の歌をよんだが。それら

のうちで、これはもっとも

よく知られた歌である。

「白玉の」の比喩がまず清

新である。秋の静かな夜に

ひとり杯を傾けるとき、そ

れはまつ白な歯にしみとお

るように感ずる。こうした

夜の酒には相手がないほう

がよい。ひとり静かに味わ

うことこそ酒の醍醐味とい

うものである。これは「か

たはらに」の歌と同じく、

信州浅間山麓で作られた歌

である。

このころまでに侮られた歌

に「杯を口にふくめば千す

ぢみな髪も匂ふか身はかろ

らかに」 「とうとうと現珀

の清水津の国の銘酒白鶴川

あふれ出づ」 「あな寂し酒

のしっくを火におとせこの

            ㌔

夕暮の部屋匂はせむ」など

がある。 「酒の讃と苦笑」

という随筆のなかで「酒の

うまみは単に味覚を与へる

だけでなく、直ちに心の栄

養となってゆく。乾いてみ

た心はうるほひ、弱ってみ

た心は蘇り、散らばってみ

た心は次第に纏って来る適

私は独りして飲むことを愛

する」と述べている。

 註「かたはらに」の歌は

 かたはらに秋ぐさの花か

 たるらくほろびしものは

 なつかしきかな

 ふるさとの尾鈴の山のか

 なしさよ秋もかすみのた

 なびきて量り

尾鈴山は宮崎県の東旧杵郡

乏児湯郡との境にそびえる

塩【二代国幽駐ρら虻解蜜,,

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」    閲

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昭和36年9月5日発行

報村郷東ド岬 ∵酬…}

(第119号)

この地方第一の山で、棟高一が多い。

一千四百五十五メートル、} 瀬の水は練絹なしつ日に

牧水の故郷東郷村坪谷の生  送きて輝ける瀬に鮎は遊

家からは、左手正面に全貌一

             びき

が見わたされる。父の病気一故郷日向の山奥、坪谷村に

のために郷里に帰り、周囲

の状況によって上京が不可

能となり、一時郷里に引き

こもることを決意したころ

の作品である。不本位な日

月ではあったが、久びさに

対する尾鈴山は懐しく愛す

べき姿でそびえており、秋

もなお霞がたなびいている

というほどののどけさであ

る。人生の岐路に立つた牧

水ではあったが、こうした

自然のなぐさめが、どんな

に救いとなったことであろ一

うか。 「朝つく日うすき紅一

葉の山に照りつちもぬくみ

て鵯鳥の麻」 「阿蘇荒の日一

にかもあらめうすうすとか一

すみのごとく秋の山曇る」 

など、歌集「みなかみ」巻

頭の「故郷」と題する一連

には佳作が多い。なおこの

「ふるさと」の歌は生家の

裏の自然石に刻まれた。

 うすべにに葉はいちはや

 く萌えいでて咲かむとす

 なり山桜花

三月の末から四月の初めに

かけて、伊豆天城山の北麓

湯が島温泉に遊んだときの

歌である。この歌の詞書に

「附近の漢より山に山桜甚

だ多し」と書いているが、

じじつこの辺一帯の狩野川

上流の漢谷には山桜が多く

かれは日ごと心ゆくばかり

その花を観照して二十数首

の歌を作った。山桜とは、

山に咲く桜の意味に用いる

こともあるが、ここにいう

山桜は、桜の一種である。

ソメイヨシノのような普通

の桜はまず花が咲き、それ

から葉が出るのであるが、●

ヤマザクラは淡紅色の卵形

の小さな若葉がさき出て、

それから白色の五弁花を開

くのである。この歌はうす

べに色の葉がまっさきに萌

え、それからまさにほころ

おける少年の日の思い出を

歌ったものである。川の瀬

の水は、練絹のようであっ

た。日の光に透き通って清

く輝いている瀬に、鮎は遊

んでいた。練絹というのは、

絹を灰汁(あく)などで煮

てやわらかくしたものであ

るこの歌にいう「瀬の水は

練絹なしつ」は、川瀬の水

が、穏やかに流れているさ

まの比喩で、練絹のやわら

かく微妙な光沢のイメージ

をもつてきて、川瀬の流れ

をあらわしたところ、まこ

とに巧妙である。

この「鮎つりの思ひ出」一

連には、かれの楽しい少年

の日の面影が如実に描きだ

された佳作が多い。 「ふる

さとの日向の山の荒漢の流

戦うして鮎多く棲みき」 「

一つ瀬と七つ瀬に居りてを

りをりに呼び交しつつ父と

釣りにき」 「囮(おとり)

の鮎生きのよければよく釣

れきをとりの鮎をいたわり

て囲ひき」などはこの一連

の作である。

(中学二年時代)

 旧正月元旦、俗塵百尺の

 中より

 磯打つ浪松吹く風ノ里

 ニテ

 前略御免

○貴兄には其後相変らず松

風、三音、を友として長閑

にすごやかに此世の憂きを

も知り給はず御暮しの事と

奉羨望察候、小生は相変ら

ず浮世の浪に漂はきれて英

語で泣かされ、算術で叱ら

れ代数では大目玉を頂戴致

し漢文では笑はれて日に日

に苦しさの増すのみにて

「鳴謝斯様な事なら始めか

ら学校へなどは入らねばよ

かった」などと人知れず毎

日泣き居申候、実に哀れの

身には候はずや!

○只今は第三学期試験の最

申にて大きな頭をかかへて

ウンウンうなり居申候、特

に三月には学年試験即ち大

試験の有之可く候間只今よ

り考へてぞツと致し候。

○貴兄も御存じならんが小

学校の時より体操の先生で

あった木原曹長は一昨々目

故ありて辞職致され候!.

○永久保、百湊、古川等の

諸君相も変らず一番二番を

びようとする山桜の花の気}争ひ居られ候

             

配をよんだもので、牧水の一〇新聞では本校校長をヒド

自然詠における円熟の境地「ク攻げきソテアルノーテス

を小憎いまでに示した作品「ガソンナニ悪イ校長デハナ

                 ナ

である。       }イノテスヨ

「うらうらと照れる光にけ「○本校の校地を都合五千坪

ぶりあいて咲ざしもれるつばかり拡張致ンマシタズィ

山ぎ~花」「瀬々走る万熱致キナ三皇に

やまめうぐひのうろくつの

叢噸詔献鶴亀墾薄謝造語

            噛

                  .

タク候へ共悲シヒ哉学生の

一野土クテ且且ヲ果タサズ候

失敬失敬悪意ニアラズ

一〇学校テ雑誌が発行ニナリ

マシタズイブン面白イ文

章ナドガアリマス

○今日は旧の正月の元目さ

一でスが私等ハ寄宿舎ノ食

堂ノ中デ七十六人が皆大根

味噌汁ヲ食フテ年ヲ取り一

号候 呵々々々

○雲井二歌フ雲雀ノ声聞ク

時長閑二霞ム春ノ山辺ヲ見

ル時ドコニカ遊ビニ行キ度

ク候へ共悲シイ哉身ハ籠ノ

鳥只室内ヨリ三三ノ中ヨリ

いたづら二眺メタリ聞イタ

リシテ居り候鳴呼鳴呼

○当地方へ御出デノ節ハ是

非学校ヲ御訪ヒ下サレタク

候是非是非

○今ヨリモ猶時々ノ御通償

ハ切二望ム所二有之候

○先ヅ貧書生ノ悲シサ只ノ

半紙ニサへ書ク事叶ハズ西

洋紙ニヨリテ乱筆ヲ以テ御

伺ヒ迄早々(小生ノ字ヲ書

ク事ノ上手ナルニハ驚キマ

ス小学校ノ時ヵラ少ンモ変

りマセン)

         若 山

 山本大兄

 兄上六助見当モ宜シク御

 伝言ヲ乞フ

 貴兄ノ御写真有之候ババ

  一枚是非に御投与下サレ

 度候 小生ノ美面モ追テ

 御目ニカケ申ス可ク候

  (駐、山本君は小学校の

 同級生)

(大学四年時代》

一寸会って、直ぐ別れた、

僕はあの夜の涼しい感懐を

忘るることが出来ぬ、輿に

乗じて廻りもせぬ口を叩き

立て、汚い唾を臆面もなく

吐きちらして貴兄をヘキエ

キさせたことを深く悔い居

る。僕の癖だ、気にさわっ

たら許してくれたまへ。

あの夜の約束「武蔵野」を

お送りする、夜涼秋の近き

を覚えしむるとき静かに是

を播いて見たまへ、屹度或

一種の印象が深く深く兄の

胸裡に刻まるるに相違ない

だろう。実際「武蔵野」は

秋に読むのが最も適当して

居る、空蒼く風幽かな秋の

日、阿蘇の噴火口の前に立

って覚ゆる爽やかな感じが

或はこの小冊子の申に含ま

ない、正視するに忍びない

そして、見てみなくてはな

らないのだ。

一両日中に半切なるものを

送らう、一緒に尾山の「異

端」をも

尾上さんの短冊は急には手

に入らぬものと思ってくれ

たまへ

この三四日、福永君と飲み

統けた、飲み始めれば底の

底まで飲みたいし、底まで

飲めばもとの姿に立ち帰る

のが死ぬほどつらい、酒も

ただ味のために飲むうちで

はなくてはだめぢアないか

ああ、さういふうちにも飲

みたい飲みたい

十六七日、といっても二三

れてるぬとも限らぬ、云ふ一日うちだが、歌を送らない

までもないが、この独歩のか、君の歌を心から待って

作物を、弦斉や浪六やまた一みる人が可なりあるのだか

轟灘翻臓籠鷺麗雛三縄堕

大間違ひである。兄の好む一くあせってみたってつまる

して居る、然し兄はよく斯 旅に出たしとまたしみじみ

といふ警のそれとも異坐まいと課

             

僕は視て居る。だから僕の・自分で、妙な、厭アな深み

             

最愛の食物この「武蔵野」一へだんだんはまって行く様

をお貸し申すのだ    ㎝で怖くてたまらない

冊甲の二+篇とりどりに選考するに、なぜ斯う意気地

   二三幼稚の気のある一がないんだう,

般の情趣を解し得る人だと「思ふ

いい、

のもあるが、それは見逃し一

給い、どれも皆静かに読ん一

で繰返して見給へ 味はだ一

んだん深くなる     一

僕は心から兄にこの一冊を一

紹介することを喜ぶ、そし

て若しこれを読了の際の兄

の感想をきくことを得ヒ)

更に幸いだ。 ’、、,

二Φ申王  ’、ぞ}ヂr

去る、そして紀州大和あた

りを放浪したい、京に着く

のは九月の申旬だらう、宿

は牛込区南榎町十七小倉方一

日は相変らず身体が弱さう「

だ 気をつけて呉れ給い …

 二十五日あさ  若山生…

  百漢禄郎太様  一

 平賀財藏魚燈

      (手紙)

けふは昨日からかけて大変

な雨だ、酒がのみたい、さ

うして、飲めさうにもない

和田君城前書の方はまた水

に浸されてみることだろう

北国の秋もいいだらう、東

京のすみずみにもさうらし

い気がみちてきた、カミヤ

バアの朝の気分などまたな

つかしいものだ

君の平安と黒甜とを祈って

おく

 九月+五日  牧水

 春郊兄

 令閏によろしく

千葉県、細罫春翠

宛の絵はがき

さびしい雨の卜

いつも空想する

野の中の君の村に

君を置いて

君のことを思ふと

君も同じく

ぼんやりと淋しがってみる

様だ

君のさびしさと

僕のさびしさと   ,

勿論違ふだろう

が何かしら

むやみに淋しい

 十五日  牧水

牧水の歌碑

さびしいと君のよくいふの

と、僕のいふのと、どっち

が一体深刻だらう、僕も実

際やりきれない。

自分の身に入って来てはま

た、永劫に脱れてゆく「時」

といふものを、実際まざま

ざ見てみる様な気持だ、そ

灘.鎌瀬辮

 恵那ぐもり寒けきあさを

 網はりて待てば囮のさや

 か音になく

(三)長鯉県蓼科富原

 見よ旅人秋も末なる山々

 の頂白く雪つもり来ぬ

(三)静岡県沼津

 幾山河こえさりゆかば寂

 しさのはてなむ国ぞけふ

も旅ゆく

(西)書誌県三島市

野末なる三島の町の揚花

 火月夜の空に散りて消ゆ

 なり

(蓋)愛知県名古屋市宮中学

  校

 うす紅に葉はいちはやく

萌えいでて咲かんとすな

り山桜花

(一

Z)

、知県鳳来寺山

仏法僧仏法僧と鳴く鳥の

声をまねつつ飲める酒か

も(一

[)

、知県新城市

釣り暮らし帰れば母に叱

られき叱られる母に渡し

 き鮎を

(ズ)山口県鴉真

鶴島かげりて黒き磯の岩

 に千鳥こそ居れ漕ぎよれ

ば見ゆ

(究)福岡県戸畑市

新墾のこの坂道のすそと

 ほし友のすがたの其処ゆ

e北海遭薫り

C 欄σ並戸

 れや津軽の国の才

 ぽの

 ひっそりと馬乗り入るる

 津軽野の五所川原町は雪

 小止みせり

⇔福島県三春町

 時をおき老木の雫おつる

 ごと静けさ酒は朝にこそ

 あれ

㈲三編池中五条町営坂峠

 乾きたる 落葉のなかに

 粟の実を湿りたる朽

 葉がしたに橡の実を

とりどりに拾ふとも

 なく拾ひもちて 今日の

 山路を越えて来ぬ

 長かりしけふの山路 楽

 しかりしけふの山路 残

 りたる紅葉は照りて 餌

 に鯵うる鷹もぞ哺きし

 上野の草津の湯より沢

 登り来

(δ)官崎県延岡市城山

 なつかしき城山の諮り鳴

 いでぬをさなかりし日聞

 きしごとくに

(三)〃都井岬

 勤向の国都井の岬の満潮

 に入りゆく端にひとり海

 見る

(一

O)延岡窩等学校

 うす紅に葉はいちはやく

 萌えいでて咲かむとすな

り山ざくら花

(二

O)

V坪谷  ’

 ふるさとの尾鈴の山のか

なしさよ秋もかすみのた

 なびきてをり

(二

l)

V日向市細島

 ふるさとのお秀が墓に草

枯れむ海に向へる彼の岡

 の上に

(二

ワ)

V都農町

 ふるさとの尾鈴の山のか

なしさよ秋もかすみのた

なびきて居り

(一

V)鹿児島県牧園町

有明の月は冴えつつ霧島

 のやまの渓間に霧たちわ

 たる

(一

ホ)静岡県沼灘昏貫山

香貫山いただきに来て吾

子とあそびひさしくをれ

ば富士はれにけり

’薇灘越ゆる路名巌

一  秩父町出はつれ来れば機

  をりのうた声つづく古り

噛 し家並に

 ㈹東京都立川市

  立川の駅の古茶屋さくら

  樹のもみちのかげに見送

  りし子よ

 ㈲神奈川県横須賀市

  しら鳥はかなしからずや

  そらの青海の青にもそま

  ずただよふ

 ㈹山梨県小淵沢

  甲斐の国小ぶちざはあた

  りの高はらの秋のすゑつ

  かたの雲のよろしさ

 ㈹長野県小諸市

  かたはらに秋くさの花か

  たるらくほろびしものは

  なつかしきかな

 (δ)長野県洩間町

  しら玉の歯にしみとほる

  秋の夜の酒はしっかに飲

  むべかりけり

 (=)岐車県中震川市

故郷の歌懐郷の歌

 ○海 の 声   .

母恋しかかる夕べのふるさ

との桜咲くらむ山の姿よ

春は来ぬ老いにし父の御ひ

とみに白ううつらむ山ざく

ら花

父母よ神にも似たるこしか

たに思ひ出ありゃ山ざくら

花日向の認むら立つ山のひと

山に住む母恋し秋晴の日や

蝉や寝ものがたりのをりを

りに涙もまじるふるさとの

第濱榔樹の古樹を想へその葉

蔭海見て石に似る男をも

(青島より)

日向の国都井の螂の黒潮に

入りゆく端に独り海見る

 ○独り歌へる

雲去ればもののかげなくう

す赤き夕日の山に秋風ぞ吹

く(故郷)

峰あまた横ほり伏せる蚊間

⑳鋸稲叢驕郵

子はぎた遠く旅をおも眠る

一人のわがたらちねρに

          ’

さへおのがこころの解けず

なりぬる

 ○別  離

ふるさとのお秀が墓に草枯

れむ海にむかへる彼の岡の

上に

 ○路  上

歯を痛み泣けば背負ひてわ

が母は峡の小川に魚を釣り

にき

父おほく家に在らざり夕さ

ればはやく戸を閉し母と寝

にける

ふるさとは山のおくなる山

なりきうら若き母の乳にす

がりき

ふるさとの山の五月の杉の

木に斧振る友のおもかげの

見ゆ

おもひやるかのうす青き峡

のおくにわれのうまれし朝

のさびしさ

親も見じ姉もいとはしふる

さとにただ按榔樹を見にか

へりたや

ふるさとの美々津の川のみ

なかみにひとりし母の病み

たまふとそ

さくら早や背戸の山辺に散

りゆきしかの納戸にや臥し

たまふらむ

病む母よかわりはてたる汝

が児を枕にちかく見むと想

ふな

病む母のまくらにつどひ泣

きぬれて姉もいかにかわれ

を恨まむ

病む母を眼とぢおもへばか

たはらのゆうべの膳に酒の

匂へる

病む母をなぐさめかねつあ

けくれの庭や掃くらむふる

さとの父

  ○みなかみ

秋のおち葉栴檀の木にかけ

あがり来よと児猫がわれに

いどめる

阿蘇荒の日にかもあらめう

すうすとかすみのごとく秋

の山曇る

母が飼ふ秋蚕の匂ひたちま

よふ家の片すみに置きぬ机

をいつくにか父の声きこゆこ一

の古き大きなる家の秋のゆ

ふべに

ほたほたとよろこぶ父のあ

から顔この世ならぬ尊さに

涙おちぬれ

さきのこと思ふときならめ

善き父の眉ぞくもれる眉ぞ

曇れる

秋の日あし追ひつつうつる

群をおひ父ひもすがら蝿う

ちくらす    、

老いふけし父の友どちうち

つどひ酒酌む冬の窓の夕陽

壷の中眠れるごとしこのふ

るさとかなしみに壷の透き

とほれかし

鰯のみ食ひつつ幾日すぎに

けむ栴檀の葉の日々散る家

に味気なき夕なるかな眼の前

の膳の酒さへ炉の焚火さへ

飲むなと叱り叱りながらに・

母がつぐうす暗き部屋の夜

の酒のいろ

母を思へばわが家は玉のご

とく冷たし父を思へば山の

ごとく温かし

こころより母を讃ふるとき

のありそのときのわれのい

かにかなしき

母、姉、われ、涙ぐみたる

話のたえま魚屋入り来ぬ、

魚の匂へる

起き出でて戸を繰れば瀬は

ひかり居り冬の朝日のけぷ

            ,

れる峡に

山河みな古き陶器のごとく

なるこのふるさとの冬を愛,

せむ        穐

あなかしこし静けき御魂に

触るるごとく父よ御墓にけ

ふも詣で来ぬ

心の闇に浸みる瀬の音、心

のうつろに響く瀬の音、瀬

め音

あたたかき冬の朝かなうす

板のほそ長き舟に耳川くだ

るわれも木を伐る、ひろきふ

もとの雑木原春日つめた

や、われも木を伐る(酔憔

歌)春

の木立に小斧振ることの

かなしさよ、前後不覚に伐

りくづしけり

春の木は水気ゆたかに艶切

れのよしといふなり春の木

を伐る

春あさき田じりに出でて野

芹つむ母のこころに休ひの

あれ

余念なきさまには見ゆれ頬

かむり母が芹つむきさらぎ

の野や

春の日のぬくみかなしも、

ひたすらに浅瀬にたちて鮎

つり居れば

いだ釣ると春の川瀬につど

ひたるふるさとびとら黒き

衣着る

 ○秋鳳の歌

母ひとり拾ふともなく栗ひ

ろふかの裏山の秋ふかみけ

む ○砂  丘   ・

とある日の朝のさびしき心

より冬の野に出でて君恋ふ

るかな(母を憶ふ)

あは雪を手にもてるごとき

危ふさを老いませば君につ

ねに覚ゆる

今ははやあきらめてかもお

はすらめ老いたる人のみな

 

一するごとく

 一            ゆ

1                         咀

事行祭水牧

1.学童音楽会

2.歌碑祭

3.講演会 短歌会

4.祝賀会

5.学童作品展

9.00~10.m

11.00~12.00

1.00~5.00

5.00~4。00

9.00~4.00

坪申

歌碑前

坪中

go.■■go■●・「「・画働.鱒■嗣o繭画o画●.o馳繭,・,幽o●o■.鰯..唇・,09編・胴.■.■■昌.葡9■.■・弓■■■巳■閲.

一漣…ー………軌

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